今尾景年は妖怪画を描かない。――『名家歴訪録』(1901年)

 忘れそうなので書いておく。


 黒田譲『名家歴訪録』(1901年)の「今尾景年氏」の章で、明治29年12月23日、黒田譲(天外)に今尾景年本人が自己の経歴をインタビュー形式で語った下りで以下のようにある。

……それで私も幼年の時から、絵が大好で厶いまして、十歳の頃で厶いましたか、いろ/\の妖怪の画を描て、それを処撰ばず壁に貼つけ、化物屋敷やといふて、朋輩の小児を脅して居りましたが。其頃疫病が流行して、私方の一家にも之に罹りました。そこで親共や兄が大に叱責(しかり)まして、汝がこの様な不吉の画を室中一ぱいに張ておくから、それで家中がこんな病気にかゝるのやと、貼てあつた絵は残らず引めくつて焼棄てましたが、其時叱責(しかられ)ました声は、今も耳底に残つておる程で、それが為め私は妖怪の如き図は一生描ん心得で厶います。


(「今尾景年氏」、黒田譲『名家歴訪録 上篇』、黒田譲、1901年、66〜67頁 *1

 家人が流行り病に罹った理由を、妖怪の絵を家中に張っていて不吉だったからというところに求めている景年幼年時代の逸話。「十歳の頃」と言っているので安政元年(1854)あたりの話だろう。
 おそらくは河童だとか一つ目小僧だとか見越し入道、ろくろ首などの絵が家の壁にたくさん張り巡らされたのだと思うが、結果的にとはいえ家族に責められるレベルの量の妖怪画が張られた光景とはどんなものだったのだろうか。

新渡戸稲造の教育的妖怪論――「妖怪改良の説」(1906年)

 Twitterにちょろっと連投したツイートの再編集版まとめ記事です。
 

 新渡戸稲造に、「妖怪改良の説」という3ページばかりの文章がある*1明治39年(1906)に雑誌『さをしか』に発表された。
 書き出しこそ、「妖怪の談は何れの国にも伝はつて居るが、その国民の気風は、冥々裡にその妖怪の感化を受けるやうである。」*2と、妖怪に関する文章ではしばしば目にする類のそれなのだが、そこから新渡戸稲造はそれぞれの国の妖怪の研究・分析を求めるのではなく、国の発展のために妖怪を改良すべし、と主張するのである。

 まず、新渡戸は論を進めるに当たり、「西洋の妖怪=優しい」「日本の妖怪=恐い」、という図式を立てる*3

西洋には子供の友達となるやうな優しいお化があるが、日本には一ツもさういふものはなく、お化と云へば子供が恐怖の目的物となつて居る。*4

 そのうえで新渡戸は西洋の妖怪の例として、“美を代表する”「フエーリー」、“滑稽を代表する”「フラオニー」を挙げている。

フエーリーは森の中へ迷ひ込んだ子供に美しい花を呉れたり、面白い歌を聞かしたりして子供を慰め、フラオニーは子供の前に滑稽な道化を演じて、子供を喜ばすと云ひ伝へられて居る、フラオニーが呼んで居ると思つて、決して恐怖するやうなことはない。*5

 ゆえに。

斯様な思想が段々発達すると、国民の冒険心を高め、殖民移住等を盛ならしむるやうになる。*6

 それに対して、日本の妖怪は天狗にしろ河童にしろ「子供を恐怖せしむるものばかり」であると述べる。

 ゆえに。

子供の心は自ら萎縮して籠城主義となり、退隠主義となり、その結果国力の発展を妨げるやうになる*7

 その国の妖怪が優しいか、恐いかによって「国力」に差が生じるのだと主張するのである。 
 それゆえに、以下のような結論になる。

今日は教育が開けて、化物談が段々滅却して行く傾きがあるが、しかし人間の好奇心の存する限は、化物は決して世界から滅絶するものではない。だから寧ろこの化物を教育上に利用するのが得策であるとおもふ。西洋のフレーリー、フラオニーなどは、世界が如何に進歩しても、決して隠れてしまふものではない。だから日本の化物も段々に改良を加へて、日本国民固有性に近よらしめて、今少し快活なるものとしたならば、人文開発の上に於て稗益する͡とが尠からぬと思はれる。*8

 日本本来の国民性は“快活なるもの”であったはずなのに、中国やインドから輸入された“陰鬱幽怪的なる思想”に影響されて“国民の発達を害して居る”、いまいちど(西洋にあるような)快活なものに改良するべきだ、とこういう主張である。いわゆる脱亜入欧の思想に支えられた言説であるといえよう。

 また、新渡戸は文中で日本の妖怪思想が“陰鬱幽怪”となっている理由を日本の伝統絵画に求めるているのだが、「...日本の画家は、其の画を完成するといふよりは、何にか新工夫を案じて、人の意表に出でんことを考へ、その結果人間でもなく普通の動物でもない一種の畸形なる天狗ともなり、鬼女ともなり、一ツ目小僧ともなり、大入道ともなつたものと思はれる。」*9と、ここではその指し示すところが妖怪画そのものというよりも風刺的な意味合いへ微妙にすり替わっているように見える。日本の従来的な技術を西洋からの新規の技術と比べて消極的に見做す考え方が伺える。


 以上、まとめ。
 以下、註釈的な何か。


 明治の教育に関する文章で妖怪談に言及しているものは、ネット上で読めるものだと例えば鈴木重光編『徳育のはなし』(1892年)がある。

怪談とは化物話のことであり舛(ます) 化物の話は児童を畏縮(おぢけ)さすものなれば常に怪談を聴きてゐる児童(こども)の精神(こころ)は畏縮(おぢけ)てゐます 精神(こころ)が畏縮(おぢけ)てゐますと芸事も発達しません 立派な人にも成られませんから幽霊だとか轆轤首だとか一ツ目小僧だとか三ツ目入道だとかいふ様な話をするものがありても其様な話は聞かぬ様にしなければ成りません


(「怪談は聞かぬ様にする方がよし」、鈴木重光編『徳育のはなし』、飯塚書店、1892年、14頁*10

 妖怪談は子供を畏縮させるものなので撲滅すべし、までがこの頃の模範的なもの言いである。
 これをただ撲滅するのではなく、有用に改良せよ、と主張したところに新渡戸の論の独自性があるといえるだろう。


 そういえば、以前にこのブログで取り上げた今泉一瓢も、日本における妖怪のユニークさの理由を絵画に求めていたことを思い出した。あまり関連性はないかもしれないが備忘的にメモしておこう。

日本ニ妖怪思想ノ独リ発達シタル原因ハ仏者ガ因縁、因果ノ道ヲ説キタル結果ニシテ又画家ガ絵画ヲ利用シテ之ヲ補佐シタル所以ナル可シ


(今泉秀太郎「お化の話」、『一瓢雑話』、誠之堂、1901年、83頁*11

 今泉が言うように、実際、日本の妖怪思想が他国と比べて独特なのかどうかという問題は保留する。


 あと、これは後日気づいたことだが、牧田弥禎『斯の如き迷信を打破せよ』(1921年)にある「西洋の妖怪は洵に滑稽なり」の部分は、おそらく、この新渡戸の文章を読んで書いてるんじゃないかしらんという感じがする。

元来狐狸は素より化物と云へば何れも恐ろしきものと定まりあるに西欧に於ては却て心根のやさしきお化けありと云ふに至りては、又以て奇ならずや。乃ち欧米に於ける優しき妖怪とは林中に居るフエーリーと名(なづ)くる妖怪なり。此妖怪は美を代表する化物にて色白く洵(まこと)に愛らしきものなりと云ひ、又滑稽を代表する妖怪はフラオニーと云へるものにて其色は黒きも至極瓢キンものなりと云へり。若しや林中に於て迷子と為り居る子供をフエーリー妖怪の見るときは、美麗なる花を与へ又愉快なる歌を聞かせて其子を慰むと云ひ。若しフラオニーのお妖(ば)けに会ふときは滑稽極まる道化を演じて其子供を喜ばすものなりと云ふ。惟(おも)ふにこれ等は何かのお伽噺を実事的に為りたる話ならん乎。素より真面目に聴くべきことに非ざるは云ふを俟たず。


(牧田弥禎『斯の如き迷信を打破せよ』、名倉昭文館・東京昭文館、1921年、86頁、「第十二章 狐が人を妖かして狸が茶釜と化ける / 西洋の妖怪は洵に滑稽なり」*12

 とくに、「...乃ち欧米に於ける優しき妖怪とは林中に居るフエーリーと名(なづ)くる妖怪なり。此妖怪は美を代表する化物にて色白く洵(まこと)に愛らしきものなりと云ひ、又滑稽を代表する妖怪はフラオニーと云へるものにて其色は黒きも至極瓢キンものなりと云へり。...」ってあたりなんか、ほぼそのまま参照している印象を受ける。それとも、両者が共通して下敷きにしているテキストがあるんだろうか。


 今回も近デジをフル活用させていただきました。多謝。

*1:新渡戸稲造「妖怪改良の説」、若葉会編『さをしか』1号、五車楼、1906年9月、11〜13頁

*2:前掲書、11頁

*3:余談だが、西欧の妖怪は明るく日本の妖怪は暗い的な図式は、内田魯庵も、「一言すれば、西洋の化物は日本のよりもヨリ以上に陽性で、傍若無人に悪辣な悪戯をする。」(内田魯庵『バクダン』、春秋社、1926年、413頁 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019521/229)という言い方をしている。ただし、魯庵は同時に「一体、日本人は生きてる間は極めて表情に貧しいが、幽霊となると頗る表情に富んで来る、之に反して西洋人は常住座臥手を掉り肩を聳かし眼を動かして頗る表情に巧みであるが、幽霊は無表情無技巧である。」(427頁 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019521/236)とも述べており、新渡戸の論ほど単純ではない。魯庵の文章は日本の百鬼夜行絵巻や西洋のハロウィーンを例に、「鳥渡聞くと矛盾のやうに思ふが、怪異と滑稽とは、相隣りしてゐる。「グロテスク」といふ語は通例恐ろしいものを形容する場合に用ひるが、馬鹿々々しい桁外れの図抜けた異物畸形を形容する場合にも亦使用する。」と続いており、ヴィルヘルム・ミヒェル『芸術における悪魔的なものとグロテスクなもの』やアンドリュー・ラング『書物と愛書家』も引き合いに出しつつ、もう少し踏み込んだ言及をしている(433頁 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019521/240)。

*4:新渡戸、前掲書、11頁

*5:前掲書、12頁

*6:前掲書、12頁

*7:前掲書、12頁

*8:前掲書、13頁

*9:前掲書、13頁

*10:"近代デジタルライブラリー - 徳育のはなし" http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/757933/9

*11:"近代デジタルライブラリー - 一瓢雑話" http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898198/57

*12:"近代デジタルライブラリー - 斯の如き迷信を打破せよ" http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/963357/49

【妖怪メモ】蛇蓮

備忘録的に。


『石川県河北郡誌』(1920年)に次のようにある。


蛇蓮。 現今小坂村字千田に属する天王の森の北方に坊地と称する所あり。是れ即ち往昔三光寺と称へられたる光徳寺・光琳寺・光専寺の旧跡にて、其の付近に狐山と称する所あり。其地に大蛇ありしに、之を殺しゝ時鮮血河水に入りて紅となれし。因りて其の下流を血の川と称し、蛇蓮と称する一種の蓮を生ぜり。其の葉蓮に似て直径四五尺許り、葉及び柄共に鋭き棘を密生して觸るべからず。花は唇形にして内面赤く、花托にも棘ありて其の状宛も蛇の口を開けるが如し。今は多く絶滅して見ること稀なり。其の果は拳大にして、中に豆大の粒顆を包含す。福千寺には此の果実一個蔵せり。


(日置謙編『石川県河北郡誌』、石川県河北郡役所、1920年、508〜509頁)


狐山というところに棲む大蛇を殺した時、その鮮血が河水を紅に染めたことで下流は血の川と呼ばれ、蛇蓮という蓮が生じた。
その葉は蓮に似て直径約4,5尺、葉及び柄にはともに鋭い棘が密生し、花は唇形で内面は赤色、花托にも棘がありその形は蛇が口を開けるようであった。
現在はほぼ絶滅して見ることは稀であるが、その果実の大きさはこぶし大、中に豆大の粒顆を包含し、現物が福千寺に蔵されている。

おおすじ、そういう話だが、『石川県河北郡誌』は「蛇蓮」の読みを示していない。

そこで、『加能郷土辞彙』を引くと、「ジャバス」の項目がある。


ジャバス 蛇蓮 → オニバス 鬼蓮。


(日置謙『改訂増補 加能郷土辞彙』、北國新聞社、1956年改訂、409頁*1


「蛇蓮」は「ジャバス」と読み、また鬼蓮(オニバス)を指す語であるらしい。

指示に従い、同書で「鬼蓮」の項目を引くと以下のようにある。


オニバス 鬼蓮 古跡考に、石川郡直江のふごといふ水溜に、宝暦の比から初めて鬼蓮が生ひ出て繁茂したとある。鬼蓮は現に近岡の入江に存するが、往時は河北潟縁にもつと広く繁殖して居たと思はれる。直江村の記事は、湖水から離れた水溜である為珍しかつたのであらう。


(日置謙『改訂増補 加能郷土辞彙』、北國新聞社、1956年改訂、123頁)

オニバスが、「往時は河北潟縁にもつと広く繁殖して居たと思はれる」とある。『石川県河北郡誌』の「蛇蓮」も河北潟周辺の話である。
蛇蓮(ジャバス)という呼び名は石川県(の一部地域?)における鬼蓮(オニバス)の方言であるようだ。



『石川県植生誌』(1997年)によれば、オニバスは「一年生植物であるため、農業用のため池や用水路のような人工的な場所にもよく生育」し、石川県内では、河北潟南部のクリーク(水田中の舟で通う水路)に1969年まで存在したが、農薬投与や干拓、乾田化に伴い、今では見られなくなったとされる*2

また、木村久吉『ずんべろ―北陸の植物雑記―』(1978年)は、石川県におけるオニバス絶滅の時期をよりはっきり記している。
同書によれば、一時期、現在の石川県金沢市北間町から大野川辺りのクリークに群生したオニバスは、1969年12月に金沢港工業団地の開発工事が本格的にはじまり、まもなく埋め立てられてしまったという*3

オニバスは、現在、環境省レッドデータブックに「絶滅危惧Ⅱ類」として登録されている*4。その危機的な植生状況は少しネット検索するだけでも多くの情報が出てくるので、ここではオニバスそのものについてはこれ以上詳しく触れない。

『石川県河北郡誌』が著された1920年の時点ですでに「多く絶滅して見ること稀」であったという石川県のオニバス=蛇蓮は、高度経済成長期を経て完全に植生地を絶たれ、現在では(郷土誌記述中の)伝説の中にその名をとどめるのみのようである。


【参考文献】
・日置謙編『石川県河北郡誌』、石川県河北郡役所、1920年
・木村久吉『ずんべろ―北陸の植物雑記―』、北國新聞社、1978年
・日置謙『改訂増補 加能郷土辞彙』、北國新聞社、1979年復刻第2版(1956年改訂版)
・石川県植生誌編纂委員会編『石川の自然環境シリーズ 石川県植生誌』、石川県環境安全部自然保護課、1997年

*1:今回、参照したのは、1979年の復刻第2版。初版は金沢文化協会より1942年刊。

*2:石川県植生誌編纂委員会編『石川の自然環境シリーズ 石川県植生誌』、石川県環境安全部自然保護課、1997年、65頁

*3:木村久吉『ずんべろ―北陸の植物雑記―』、北國新聞社、1978年、1頁

*4:"オニバス - 日本のレッドデータ検索システム" www.jpnrdb.com/search.php?mode=map&q=06030351609

妖怪をテーマとした展覧会はどのくらい増えているのか

今回は時事ネタです。
時事ネタですが、いつもの感じです。


昨年から今年にかけてなんとなく各方面で妖怪関連のイベント・展覧会が増えている印象がある。
そのような印象を受けて、では、そういう展覧会は本当に増えているのか、増えているのであればどのくらい増えているのか。ぶっちゃけ「妖怪ウォッチ」の便乗企画ばかりなんじゃないのか。などの疑問が湧く。
当ブログでは、主に自分のためと妖怪ファン向けに以前から妖怪・幽霊・怪談系の展覧会情報をまとめ・公開していた。そこで、まったく分不相応ではあるが、それらを数値化して開催数の推移をみることで近年の妖怪をテーマとした展覧会の傾向を示すことができるのではないかと考えた。

以下、随時更新しているリストをもとに、国内の博物館、美術館、文学館、記念館、資料館、歴史館等の施設で開催された企画展、常設展のうち、そのタイトルに「妖怪」を含むものを開催年別に抜き出し、妖怪をテーマとした展覧会がどのくらい増えているのかを年代順に並べてみた。煩雑になるのを避けるため、図書館、水族館で開催されたもの*1はあえて除外した。
妖怪を主要なテーマとして扱う展覧会の多くは水木しげる作品の展示を含むが、妖怪というよりも水木しげるをメインテーマとするものは★で示した。また、水木しげるのシリーズ作品である「妖怪道五十三次」をタイトルに含むもの*2は除外したが、展示内容に同作品を含んでいるかどうかは考慮していない。
展覧会の情報は箇条書きで列記し、開催年、その年の開催件数、開催施設、展覧会タイトル、会期の順に記した。


統計の方法としては、この記事末に挙げたサイト等を参考にブログ主がちまちま数えたものなので必ずしも客観的な統計データとは言えないかもしれない。でも、大略をつかむことくらいはできるのではないかと思う。あくまでファン的な統計ということをご了承いただきたい。


開催年 その年の開催件数
開催施設  展覧会タイトル 会期
記号:★=水木しげるをメインテーマとするもの、(巡回)=2館め以降の巡回展


1969年 1件
長野県信濃美術館  幽霊と妖怪画展 1969.07.01-1969.07.29


1987年 1件
兵庫県立歴史博物館  特別展「おばけ・妖怪・幽霊…」 1987.07.11-1987.08.30


1993年 3件
鳥取県立博物館  のんのんばあが案内する「水木しげると日本の妖怪」 1993.04.23-1993.05.22
(巡回)日本橋三越本店  のんのんばあが案内する「水木しげると日本の妖怪」 1993.07.20-1993.08.08
川崎市市民ミュージアム  企画展「妖怪展:現代に蘇る百鬼夜行」 1993.07.24-1993.08.29


1994年 2件
(巡回)兵庫県立近代美術館  のんのんばあが案内する「水木しげると日本の妖怪」 1994.02.05-1994.03.21
日本の鬼の交流博物館  夏休み特別企画「北欧の妖精たち=トウーラ モイラネンの妖怪画展」 1994.07.26-1994.08.21


1997年 3件
福岡市博物館  企画展示 No.114「江戸のオカルト図鑑 幽霊・妖怪図1」 1997.07.31-1997.08.31
山寺芭蕉記念館  文人の神仏・妖怪展:異界の表現史 1997.08.05-1997.08.31
富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館  もののけ−描かれた妖怪たち 1997.10.07-1997.11.09


1998年 2件
福岡市博物館  企画展示 No.130「江戸のオカルト図鑑 幽霊・妖怪画2」 1998.07.14-1998.08.30
高松市美術館  水木しげると世界の妖怪展 1998.07.31-1998.09.06


1999年 1件
熊本県立美術館  夏休み子ども美術館「不思議な妖怪大集合!!」 1999.07.20-1999.09.05


2000年 4件
(巡回)福岡県立美術館  大妖怪展:心にひそむ恐れとあこがれ/異界への誘い 2000.04.29-2000.05.28
(巡回)岐阜市歴史博物館  大妖怪展:心にひそむ恐れとあこがれ/異界への誘い 2000.06.29-2000.07.30
(巡回)大丸ミュージアムKOBE  大妖怪展:心にひそむ恐れとあこがれ/異界への誘い 2000.08.03-2000.08.14
(巡回)大丸ミュージアムKYOTO  大妖怪展:心にひそむ恐れとあこがれ/異界への誘い 2000.08.17-2000.08.29


2001年 1件
国立歴史民俗博物館  企画展示「異界万華鏡 あの世・妖怪・占い」 2001.07.17-2001.09.02


2002年 4件
香川県歴史博物館  讃岐異界探訪:特別展「あの世・妖怪・占い-異界万華鏡-」 2002.04.20-2002.05.19
那珂川町馬頭広重美術館  企画展「浮世絵のお化け・妖怪展」 2002.07.05-08.04/08.08-09.08
群馬県立歴史博物館  第72回企画展「妖怪」 2002.07.20-2002.08.31
さいたま川の博物館  平成14年度特別展「水辺の妖怪:河童」 2002.07.20-2002.09.08


2003年 6件
長野市立博物館  第48回特別展「あの世・妖怪―信州異界万華鏡―」 2003.04.19-2003.06.01
高知県立歴史民俗資料館  特別展「あの世・妖怪・陰陽師―異界万華鏡・高知編」 2003.07.19-2003.08.31
河鍋暁斎記念美術館  暁斎の妖怪百物語展 2003.09.01-2003.10.25
群馬県立歴史博物館  特別展示「妖怪ぞろぞろやってきた─おばけの絵とおもちゃ─」 2003.09.04-2003.09.26
千曲川ハイウェイミュージアム  水木しげるの妖怪博物館 2003.09.12-2009.11.03
北上市立鬼の館  特別展「神々と鬼─鬼神・餓鬼・妖怪─」 2003.11.16-2003.01.12


2004年 2件
広島県立歴史民俗資料館  平成16年度開館25周年記念特別企画展「稲生物怪録と妖怪の世界―みよしの妖怪絵巻」 2004.07.20-2004.08.29
八代市立博物館 未来の森ミュージアム  平成16年度夏季特別展覧会「幽霊と妖怪の世界〜福岡市博物館所蔵旧吉川観方コレクション〜」 2004.07.23-2004.08.29


2005年 5件
国立歴史民俗博物館  新収資料の公開(テーマ別展示のうち「怪談・妖怪コレクション」) 2005.01.12-2005.02.13
小山市立博物館  第48回企画展「妖怪現る!―心の闇にひそむものたち」 2005.04.23-2005.06.12
狭山市立博物館  平成17年度夏期企画展「大妖怪展」 2005.07.09-2005.09.11
山寺芭蕉記念館  特別展「もののけ博覧会―妖怪の表現、その歴史と美術」 2005.07.26-2005.08.28
淀川資料館  第9回企画展「水辺の妖怪をたずねて 淀川の伝説と暮らし展」 2005.12.07-2006.03.27


2006年 4件
国立歴史民俗博物館  新収資料の公開(テーマ別展示のうち「描かれた怪異・妖怪」) 2006.01.11-2006.02.12
徳島県立近代美術館  部門展示「まじない・鬼・妖怪」 2006.07.11-2006.09.18
イルフ童画館  夏休み特別企画「「イルフ童画館に妖怪・おばけが大集合!」(「水木しげる展 夏だ!おばけだ!!妖怪だ!!!〜そっと闇夜をのぞいてみれば…」、「武井武雄おばけの展覧会 怖い?可愛い?面白い!」) 2006.07.14-2006.09.12
ベルナール・ビュフェ美術館  おもろいどう!こわいどう!水木しげるの妖怪道 2006.07.20-2006.09.26


2007年 5件
井上円了記念博物館  特別展「東洋大学所蔵 妖怪関係資料展−井上円了がまなざしを向けた妖怪たち−」 2007.06.02-2007.06.30
愛媛県歴史文化博物館  企画展「異界・妖怪大博覧会−「おばけ」と「あの世」の世界−」 2007.07.10-2007.09.02
勿来関文学歴史館  企画展「水木しげるの妖怪展〜歴史で感じる妖怪たち〜」 2007.07.19-2007.09.18
八戸市博物館  特別展「江戸妖怪物語」 2007.07.21-2005.08.26
浮世絵 太田記念美術館  AYAKASHI 江戸の怪し−浮世絵の妖怪・幽霊・妖術使たち− 2007.08.01-2007.08.26


2008年 11件
山口県立萩美術館・浦上記念館  浮世絵展示 妖怪絵 2008.06.24-2008.07.13
耕三寺博物館 仏教美術展示金剛館  夏休み企画「妖怪づくし…耕三寺の妖怪たち(初公開 百鬼夜行図帖)」 2008.07.05-2008.09.07
北九州市立美術館  夏のコレクション展 東洋美術コーナー〈幕末・明治の浮世絵―妖怪画と文明開化―〉 2008.07.15-2008.10.05
いわき市勿来関文学歴史館  企画展「目玉おやじが語る水木しげるの妖怪展Ⅱ〜鬼太郎からのんのんばあまで〜」 2008.07.17-2008.09.16
群馬県立歴史博物館  特別展「オバケが出たゾ〜―描かれた妖怪たち―」 2008.07.19-2008.08.31
南丹市立文化博物館  平成20年度夏季企画展「妖怪大集合!!」 2008.07.19-2008.08.31
★伝国の杜 米沢市上杉博物館  企画展「ゲゲゲの鬼太郎と、妖怪不思議ワールド」 2008.07.19-2008.09.15
名古屋市蓬左文庫 展示室1  妖怪絵本−もののけ・お化けの世界− 2008.07.24-08.29/08.30-09.28
福岡アジア美術館  NTT西日本スペシャル おいでよ!不思議の森のミュージアム 特別企画:妖怪博士 水木しげるの妖怪大冒険 2008.07.26-2008.08.17
京都府立総合資料館  資料紹介コーナー「怪 -所蔵資料にみる幽霊・妖怪・陰陽師-」 2008.08.06-2008.08.29
那珂川町馬頭広重美術館  企画展「江戸の風物 おばけ・妖怪展−今とは違う江戸のおばけ−」 2008.08.08-2008.09.15


2009年 9件
高知県立文学館  企画展「土佐のお話めぐり〜おどけ者・妖怪大集合〜」 2009.03.01-2009.04.05
兵庫県立歴史博物館  特別展「妖怪天国ニッポン−絵巻からマンガまで−」 2009.04.25-2009.06.14
井上円了記念博物館  常設展「井上円了 その人と生涯(特集展示:妖怪へのまなざし)」 2009.06.09-2009.09.26/2010.02.17-2010.05.29
広島県立歴史民俗資料館  夏の展示会「三次の妖怪ものがたり」 2009.07.03-2009.08.30
(巡回)京都国際マンガミュージアム  特別展「妖怪天国ニッポン−絵巻からマンガまで−」 2009.07.11-2009.08.31
国文学研究資料館  人間文化研究機構連携展示「百鬼夜行の世界−妖怪たちの原像と展開−」 2009.07.18-2009.08.30
北アルプス展望美術館(池田町立美術館)  ゲゲゲの鬼太郎と妖怪不思議ワールド 2009.07.19-2009.09.06
青森県立郷土館  特別展「妖怪展〜神・もののけ・祈り〜」 2009.08.23-2009.10.12
大府市歴史民俗資料館  第176回 企画展「かっぱ・てんぐ・ざしきわらし〜まんが家がイメージする遠野の妖怪と精霊」 2009.09.15-2009.11.01


2010年 9件
出雲市立平田本陣記念館  ゲゲゲの妖怪美術館〜水木しげるの愛しき妖怪達〜 2010.04.03-2010.05.16
福岡アジア美術館 7F企画ギャラリーA室  妖怪展「妖の園(あやかしのその)」 2010.04.29-2010.05.05
大阪府立国際児童文学館  資料展示「子どもの本に描かれた妖怪・ばけもの・もののけ展」 2010.07.13-2010.07.13
神栖市歴史民俗資料館  第36回企画展「わくわくドキドキ 妖怪伝説」 2010.07.24-2010.08.31
兵庫県立美術館 芸術の館  特別展「水木しげる・妖怪図鑑」 2010.07.31-2010.10.03
日本の鬼の交流博物館  夏季特別展「妖怪画の中の鬼」 2010.08.02-2010.08.31
平木浮世絵美術館 UKIYO-e TOKYO  納涼 妖怪・化け猫 2010.08.03-2010.08.29
河鍋暁斎記念美術館  企画展「暁斎一門の描く妖しき世界―幽霊図・妖怪画―」 2010.09.01-2010.10.25
焼津小泉八雲記念館  第7回小企画展示会「小泉八雲の妖怪奇談」 2010.10.01-2010.12.26


2011年 10件
新潟県立歴史博物館  春季企画展「博物館の怪談―新潟の妖怪と妖怪博士・井上円了―」 2011.04.23-2011.06.05
広島県立歴史民俗資料館  夏の展示会「三次の妖怪ものがたり」 2011.06.24-2011.09.04
藤枝市郷土博物館・文学館  企画展「東海道の怪談と妖怪」 2011.07.03-2011.08.31
菱川師宣記念館  企画展「奇怪・妖怪ものがたり−世にも不思議な別世界へようこそ−」 2011.07.05-2011.09.19
城陽市歴史民俗資料館  平成23年度夏季特別展「あの世・妖怪-闇にひそむものたち-」 2011.07.09-2011.09.04
東京国立博物館  親と子のギャラリー「博物館できもだめし─妖怪、化け物 大集合─」 2011.07.20-2011.08.28
最上徳内記念館  企画展「妖怪と幽霊図展」 2011.07.29-2011.08.30
国立歴史民俗博物館  第3展示室(近世)特集展示 「もの」からみる近世「妖怪変化の時空」 2011.08.02-2011.09.04
那珂川町馬頭広重美術館  企画展「よみがえる江戸のお化け・妖怪」 2011.08.05-2011.09.11
茨城県立歴史館  特別展「妖怪見聞」 2011.10.15-2011.11.27


2012年 12件
練馬区石神井公園ふるさと文化館  特別展「江戸の妖怪展」 2012.01.21-2012.03.04
北上市立鬼の館  特別展 収蔵資料展「妖怪〜古今東西〜」 2012.04.21-2012.07.22
福岡市博物館  特別企画展「幽霊・妖怪画大全集」 2012.06.30-2012.09.02
河鍋暁斎記念美術館  企画展「幽霊図・妖怪画〜異形のものたち〜」 2012.07.01-2012.08.25
山寺芭蕉記念館  企画展「妖怪と文学・美術」 2012.07.05-2012.08.20
芦屋歴史の里  特別展「妖怪展」 2012.07.18-2012.09.30
松浦史料博物館  夏季企画展「殿様と不思議な世界 〜平戸藩松浦静山と妖怪・奇談・風習〜」 2012.07.20-2012.08.31
八代市立博物館 未来の森ミュージアム  松井文庫常設展示 夏休み特別企画「描かれた妖怪たち 博物館で妖怪を探そう!」 2012.07.24-2012.09.09
最上徳内記念館  企画展「江戸時代の妖怪展」 2012.07.27-2012.08.28
川崎市市民ミュージアム  夏休みこどもマンスリー「妖怪大集合!」 2012.07.28-2012.08.31
文化のみち橦木館  「もののけづくし」妖怪図像あれこれ展 2012.08.04-2012.08.08
浮世絵 太田記念美術館  楊洲周延「東錦昼夜競」―歴史・伝説・妖怪譚 2012.12.01-2012.12.20


2013年 13件
高知市春野郷土資料館  コーナー展示「道具の妖怪〜道具も年を経れば妖怪に〜」 2013.01.11-2013.02.24
(巡回)大阪歴史博物館  特別展「幽霊・妖怪画大全集」 2013.04.20-2012.06.09
広島県立歴史民俗資料館  夏の特別企画展「真夏の妖怪大行進!」 2013.07.01-2013.09.01
三井記念美術館  特別展「大妖怪展‐鬼と妖怪そしてゲゲゲ‐」 2013.07.06-2013.09.01
みやざき歴史文化館  企画展「幽霊・妖怪大集合」(夏の特別展「お化け・妖怪展」) 2013.07.06-2013.09.01
山寺芭蕉記念館  常設展テーマ展示「妖怪と文学・美術」 2013.07.11-2013.08.27
横須賀美術館  企画展「日本の「妖怪」を追え! 北斎国芳、芋銭、水木しげるから現代アートまで」 2013.07.13-2013.09.01
丹波市立植野記念美術館  特別展「夏の粋 納涼浮世絵展〜夕涼み 美人に 花火に 妖怪画〜」 2013.07.13-2013.09.16
水戸市立博物館  企画展 夏休み子どもミュージアム「妖怪さまのお通りだい!−夏の夜はつくも神が大さわぎ−」 2013.07.23-2013.08.31
(巡回)そごう美術館  福岡市博物館所蔵 幽霊・妖怪画大全集 2013.07.27-2013.09.01
神戸市立須磨海浜水族園  企画展「奇奇怪怪!水辺の妖怪」 2013.08.10-2013.09.01
八代市立博物館 未来の森ミュージアム  松井文庫Ⅱ「描かれた妖怪たち」 2013.09.03-2013.10.20
国立公文書館  連続企画展 第5回「妖怪退治伝」 2013.12.18-2014.02.01


2014年(※8月現在) 18件
河鍋暁斎記念美術館  企画展「妖怪図−奇々怪々あやしの世界−展 」 2014.05.02-2014.06.25
(巡回)名古屋市博物館  特別展「福岡市博物館所蔵 幽霊・妖怪画大全集」 2014.05.21-2014.07.13
石川近代文学館  春の企画展「妖怪えほん原画展」 2014.04.19-2014.08.24
耕三寺博物館 仏教美術展示金剛館  夏季企画展「百鬼夜行の世界」 2014.05.31-2014.08.31
浮世絵 太田記念美術館  特別展「江戸妖怪大図鑑」 2014.07.01-2014.09.25(第1部:07.01-07.27/第2部:08.01-08.26/第3部:08.30-09.25)
高井鴻山記念館  夏季展「鴻山の妖怪たち―異界に遊ぶ―」 2014.07.04-2014.09.24
勿来関文学歴史館  企画展「妖怪展」 2014.07.17-2014.09.16
山寺芭蕉記念館  企画展「妖怪の文学・美術」  2014.07.18-2014.08.25
五島観光歴史資料館  企画展 「お化け・妖怪大集合!〜資料館のお化け屋敷〜」 2014.07.19-2014.08.31
(巡回)山梨県立博物館  企画展「福岡市博物館所蔵 幽霊・妖怪画大全集」 2014.07.19-2014.09.08
高浜市やきものの里かわら美術館  特別展 「鬼と妖怪の造形(かたち)−水木しげるの作品とともに−」 2014.07.19-2014.09.15
秋田市立佐竹史料館  企画展「江戸時代の幽霊と妖怪」 2014.07.20-2014.11.30
臼杵市歴史資料館  ミニ企画「うすき妖怪図会」 2014.07.23-2014.09.08
八代市立博物館未来の森ミュージアム 松浜軒/松井文庫  企画展「夏の風物詩〜妖怪絵巻・朝顔生写図」 2014.07.25-2014.09.30
徳島市立木工会館  怖い話で涼を感じて〜江戸時代の幽霊・妖怪展 2014.07.31-2014.08.17
茨城県陶芸美術館  親子でみるコレクション展「やきもの妖怪、参上!」 2014.08.01-2014.08.31
山口県立萩美術館・浦上記念館  普通展示 妖怪絵 2014.08.05-2014.09.07
能登川博物館レンタルギャラリー  八日市は妖怪地-東近江のガオさんと妖怪たち- 2014.08.06-2014.08.17



以上、各年の開催数を足すと計120件、うち14件が水木しげるをメインに取り上げるものだった。
上のデータをグラフに示すと以下のようになる。


▲タイトルに「妖怪」を含む展覧会の開催件数の推移(1990〜2014年8月)

2000年代後半以降とくに増加している傾向が見て取れるが、2014年の18件は前年の2013年の13件と比べても急増している。
今回はあくまでタイトルに「妖怪」の文字列を含むものを数えただけであるので、内容的に妖怪をテーマとした展覧会の数は実際とは異なってくるが、それを踏まえても今年の開催件数はそれ以前と比べて突出していると言ってよいだろう*3


ここで簡単に全体の傾向をまとめてみる。
従来の展覧会では妖怪が通俗的な要素を多分に含むこともあり、それがあまり積極的に取り上げられることはなかったが、1987年に兵庫県立歴史博物館で開催された特別展「おばけ・妖怪・幽霊…」を皮切りに、1990年代以降は妖怪をテーマとした展覧会がたびたび開催されるようになった。
多くの展覧会が夏季(7月〜9月頃)に開催されており、熊本県立美術館 夏休み子ども美術館「不思議な妖怪大集合!!」(1999年)や東京国立博物館 親と子のギャラリー「博物館できもだめし─妖怪、化け物 大集合─」(2011年)など、子ども向けを意識した企画も少なくない。
今年になって妖怪関連の展覧会がとくに多いのは「妖怪ウォッチ」ブームの影響であるとも取れるが、一方で、河鍋暁斎記念美術館や耕三寺博物館、山寺芭蕉記念館、八代市立博物館未来の森ミュージアム、高井鴻山記念館など定期的にコレクションから妖怪画をピックアップしてきた例や、臼杵市歴史資料館や能登川博物館のように地域の活動と連動しているものもあり、一概には言えない。また、日本の鬼の交流博物館や北上市立鬼の館は、館そのもののコンセプトを「鬼」に絞り継続してさまざまな活動を行っている。


とりあえずの結論。
しばしばささやかれるように、2014年の妖怪を主要なテーマとして扱う展覧会の急増が「妖怪ウォッチ」の流行を受けていることは充分に考えられ、実際のところそういう面あるのだろう。しかし、妖怪をテーマとした展覧会自体は90年代以降には各地で開催されており、多少の増減はあるが概ね増加傾向にあった。そのような流れのもと、昨年来の「妖怪ウォッチ」のメディアミックス展開及びその爆発的流行に刺激された結果が2014年における開催数の急増なのではないかと推測される(*補足。実際、「妖怪ウォッチ」のゲーム第1作の発売が2013年7月、マンガ版の連載開始が『コロコロコミック』2013年1月号から、アニメの放送開始が2014年1月から。2014年の開催件数が突出しているとはいえ、展覧会の準備期間を考慮しても、その理由は「妖怪ウォッチ」だけに求められるものではないだろうと思う)。


なんだか無難なところに落ち着いてしまったが、「妖怪ウォッチ」の流行も事前に「妖怪」という言葉と考え方が世間に定着していた土壌があったからこそであるとも言え、展覧会はそのような土壌をつくる役割を担っていたもののひとつだろう。各地の博物館や美術館が展覧会で妖怪を取り上げるようになったことは、人々の妖怪への興味や知識を増進させるものであっただろうし、各メディアが妖怪という題材を一般へ発信していく傾向は美術館・博物館の活動とも無縁ではない。
そのように考えていくと、2000年代以降の妖怪ブームの諸相みたいなものが描けそうな気がしてくるが、文章が冗長になってきたので今回はここらへんで了。



追記:データと数値を訂正しました。2014年の項目で展覧会タイトルに「妖怪」を含まないものをカウントしていたのを削除、数値を訂正。×「2014年 21件」→○「2014年 18件」それにともなって、総計も「123件」から「120件」に訂正。(2014/08/29)


なお、この記事の作成には主に以下のサイト等を参考にしました。

 Art Libraries' Consortium | 美術図書館横断検索 http://alc.opac.jp/

 art commons@nact展覧会情報検索@国立新美術館 http://ac.nact.jp/

 日本の美術展覧会記録1945-2005 - 国立新美術館 http://db.nact.jp/exhibitions1945-2005/

 近現代美術展覧会開催情報 | 情報の検索 | 東文研 総合検索 http://www.tobunken.go.jp/archives/%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%81%AE%E6%A4%9C%E7%B4%A2/%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E7%BE%8E%E8%A1%93%E5%B1%95%E8%A6%A7%E4%BC%9A%E9%96%8B%E5%82%AC%E6%83%85%E5%A0%B1/

 CiNii Books - 大学図書館の本をさがす - 国立情報学研究所 http://ci.nii.ac.jp/books/?l=ja

 水木プロダクション公式サイトげげげ通信 www.mizukipro.com

*1:例えば、国立国会図書館 第96回常設展示「「妖怪画談」−妖怪のイラスト・妖怪学・怪談−」(1999年)、早稲田大学総合学術情報センター 図書館企画展示「異形のものたち〜妖怪とお化けの世界」(2003年)、豊橋市中央図書館 企画展「三遠南信地域資料展 ふるさとの妖怪をたずねて」(2014年)、世界淡水魚園水族館 アクア・トト ぎふ 特別企画展示「ふしぎな水ゾクッ館〜妖怪たちに出会う夏〜」(2013年)などがある。

*2:例えば、東京都江戸東京博物館 特別展「水木しげる妖怪道五十三次―妖怪と遊ぼう展―」(2004年)、奥田元宋・小由女美術館 水木しげるの妖怪道五十三次展(2006年)、豊橋市二川宿本陣資料館 水木しげるの妖怪道五十三次展(2007年)、丹波市立植野記念美術館 特別展「水木しげるの妖怪道五十三次展 〜番外編 広重の「丹波 鐘坂」と兵庫の妖怪たち〜」(2010年)、島田市博物館 特別展 島田市博物館開館20周年記念「鬼太郎と行く妖怪道五十三次展〜ふるさと妖怪図鑑〜」(2012年)など多数。

*3:補足。最大値の2014年を別にすれば、2008年の開催件数11件が2007年の5件と比べて著しく増加している。

【妖怪メモ】鬼は日本に漂流してきた西洋人という俗説(1)


また、わが四国、九州地方には南洋インド諸島より漂泊して、深く山間に潜み、果実を食いて生活せし人種なしというべからず。もし人、偶然かかる異人種を発見することあらんには、また必ず怪物と見なすべし。


井上円了『妖怪学講義』「第二 理学部門 第五講 異人編 第四六節 山男、山女、山姥、雪女、鬼女」(1894年)*1


 鬼は日本に漂流してきた西洋人であるという俗説がある。
 ネット上でのカキコミは掲示板や知恵袋系のサイトを中心に多く見られるものの*2、ざっと検索をかけた限りでははっきりと出典を示しているものはほとんど見当たらない。また、こういった俗説の類はだいたいうぃきぺでぃあ先生に聞けば何かしら書いてるんじゃないかと見てみるも、Wikipedia「鬼」「酒呑童子」の項目にこの説に関する言及はない(少なくともこのブログ記事を書いている時点では)。

 そもそもこの鬼=西洋人説をまとめたものがネット上にあまりないことに気づいた。とりあえず自分のすぐ手の届く範囲にある資料から分かる情報をメモ的にまとめてみる。


 ちなみに、ぼくがこの説をはじめて知ったのは多分小学生の頃に読んだ学習マンガだったと思う。
 幼少期に読んだものでとくに印象に残っているのが90年代はじめに刊行された小学館の「ドラえもんふしぎ探検シリーズ」*3 *4

なぞの生き物大探検 (ドラえもんふしぎ探検シリーズ (9))

なぞの生き物大探検 (ドラえもんふしぎ探検シリーズ (9))

世界のふしぎ大探検 (ドラえもん・ふしぎ探検シリーズ)

世界のふしぎ大探検 (ドラえもん・ふしぎ探検シリーズ)


 今回あらためて再読しようと近隣のこども図書館の蔵書を検索したところ、どこの館も貸出中になっており、発売から20年以上経った現在もなお多くの児童に親しまれているシリーズとおぼしい。
 あまり以前の状況は分からないが、これら学習マンガの類がこの手の俗説の流布に加担している比重は結構なものなのではないかと思うがどうなんだろうか。


 それはそれとして、鬼=西洋人説が載っている書籍を探すとこれが意外と何にでも書いてあるというわけではない。

 よく言われるネタなのでサブカル本などでそれなりに言及されているだろうとみくびっていたら、世間で話の枕にされる頻度ほどにはどうもそのソースは多くないっぽい?
 たとえば今回すぐに確認できたものとして、多田克己『Truth in fantasy 9 幻想世界の住人たち4 日本編』(新紀元社、1990年)、『妖怪の本 異界の闇に蠢く百鬼夜行の伝説(Books Esoterica 第24号)』(学習研究社、1999年)、新しいもので"物の怪"民俗研究会『物の怪の正体 怪異のルーツとあれやこれ』(笠倉出版社、2014年)などのサブカル系の書籍、また馬場あき子『鬼の研究』(三一書房、1971年)、知切光歳『鬼の研究』(大陸書房、1978年)、小松和彦責任編集『怪異の民俗学4 鬼』(河出書房新社、2000年)、小松和彦編著『図解雑学 日本の妖怪』(ナツメ社、2009年)...等々を見てみたが目立った言及はない。
 もちろん今回当たったものは目についてすぐに確認できた書籍だけであり、参照すべきものはまだまだあるのだとは思うが、「昔話に出て来る鬼は当時の日本に漂流してきた西洋人なんだよ!」という話を持ち出すひとはみなさん何を根拠というか元ネタにしてるのか、という疑問が湧いてくる*5


 新紀元社のTruth In Fantasyシリーズ『鬼』の「酒呑童子」の章でのコラム「名の由来説」では「酒呑童子紅毛人説」を紹介している。 


 その昔、この地にドイツ人が漂着した。その名をシュテイン・ドッチといい、これが「しゅてん・どうじ」の正体だというのである。ドッチはフランドルの貴族で冒険家だった。宋からジパングに渡ろうとして嵐に巻き込まれ、丹波に漂流し山賊の頭目になったという話が伝わっているが……?
 似たような外人説で、漂流したのはロシア人ではないかという説もある。
 また、童子が好んで飲んでいたとされる生き血は、西洋人が持ち込んだブドウ酒だったという解釈もされる*6

鬼 (Truth In Fantasy)

鬼 (Truth In Fantasy)


 この「酒呑童子紅毛人説」に対し、このコラムでは「妙にリアリティがある」としている。
 この説はこの書籍の参考文献にもある高橋昌明『酒呑童子の誕生 もうひとつの日本文化』(中公新書、1992年)において紹介されているもので、このコラムはほぼ本書該当部分を要約したものだ。


 『酒呑童子の誕生』の序文では、著者が考古学者の都出比呂志氏から「酒呑童子というのは丹後に漂着したシュタイン・ドッチというドイツ人で、彼が飲んだという人の生き血は赤ぶどう酒だったという説」を紹介されたこと、作家の永井路子氏の紹介により村上元三の短編小説「酒顛童子」が「フランドルの貴族で冒険家」であるシュタイン・ドッチが「宋からジパングに渡ろうとして嵐で丹後に漂着、山賊の頭目になった」という筋であることを知ったことが述べられている*7

 加えて興味深いのは次のくだり。酒呑童子はロシア人だという話が現地ではそれなりに説得力を持つものとして言い伝えられているというはなし。


 さらに数ヵ月後、丹後の現地調査におつき合いいただいた地元宮津市の大石信氏から、いろいろ教わるところがあった。氏の世代は、童子は丹後の浜辺に漂着した西洋人、と両親や祖父母から聞いたという。大石氏は一九二四年(大正一三)のお生まれだから、計算すれば、話は大正から昭和初年には現地で語られていたことになる。
 また、これも氏から教えていただいたものだが、一九二八年(昭和三)発表の小川寿一氏の「大江山伝説考」に、「この髪赤しの形容が童子を丹後の海辺に漂着した西洋人を思はせてゐる」「日本海に漂着して丹後海辺に漂着した西洋人がこの山に入り込んで、葡萄酒を飲んでゐた。それを血を飲んだと思ひこんだのかもしれぬ」とある。
 多分それを意識しているのであろう、九年後の藤沢衛彦著『日本伝説研究』にも「或者は、彼こそ丹後の海辺に漂流した西洋人であつて、髪赤しの形容が之を証してゐる。そして、その人間の血を呑むと見たは葡萄酒であつたであらうといひ」と見えている。国文学者や伝説研究家も、早くからこの種の解釈に着目していたようだ。あるいは村上氏の短編のネタかもしれぬ。ぶどう酒のことも出てくるから、都出氏の聞いたラジオ番組も、これらに題材をえたのでは。
 さらに大石氏は、大江山(千丈ヶ嶽)や天の橋立など現地をご案内いただく道々、当地では西洋人の国籍をロシア人と伝えている、日露戦争による対外緊張が言い伝えを生んだ源ではないか、近くに日本海日本海軍の舞鶴鎮守府もあったので、とのお考えを聞かせてくださった*8

酒呑童子の誕生―もうひとつの日本文化 (中公文庫BIBLIO)

酒呑童子の誕生―もうひとつの日本文化 (中公文庫BIBLIO)

※画像は中公文庫BIBLIOからの復刊。

 『酒呑童子の誕生』では、1937年の三笠書房版を参照して藤澤衛彦『日本伝説研究』の記述が小川寿一氏の論考を意識したものだろうと推測されているが、酒呑童子に関して述べられている『日本伝説研究 第1巻』は1922年の大鐙閣版が初出であるので、小川氏のほうが後出ということになる*9
 
 藤澤衛彦『日本伝説研究』の該当箇所は近デジで読める*10
  ⇒近代デジタルライブラリー - 日本伝説研究. 第1巻 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972231/22

 補足しておくと、藤澤衛彦はこの酒呑童子西洋人説には否定的である旨を述べている。


尤も、其鬼人に、角生ふるとしたは、異人種に対する上代伝統の常套思想であつたともされやうが、又思ふに、盗賊を擬して鬼となしたのは、当時一般の俗信であつて、前述の如く、それはただに酒顛童子へばかりの呼称ではなかつたのである*11


 さらに今回、湯本豪一編『明治期怪異妖怪記事資料集成』(国書刊行会、2009年)を見ていたら、この話のソースのひとつになるかもしれないものとして明治40年の新聞記事を見つけたので少し長くなるが以下に全文引用。


「●酒顛童子は露国の皇子」
三歳童も知れる大江山の酒顛童子に就ては種々なる説あるが今最も新しく思へるは左の説なり 永く韓国京城に住める渡邊烏城氏が其好める自転車旅行を新潟に試みし時越後の某山(山名を逸す)に酒顛童子が籠つて居た事跡を発見したりとて人に語りし處によると大江山酒顛童子は露国人であるといふ一の推定を得た 即ち酒顛童子大江山で朝夕使用したと称する器物は宮内府に納まつて居る 此器物は先年一露国人が実見して露国古代の宮廷の器物であると云ふことを鑑定した 而して丁度露国の一皇子が宮廷を脱して行方不明となつたといふ時代が大江山時代に符合して居る 酒顛童子が大酒を飲んだと云ふことは露国人がウオツカやブランデー将たウイスキーなど酒を嗜む点に似てゐるではないか 肥大な体格に獣皮などの防寒外套を着し防寒靴を穿き毛色目色の変つた所の日本人には如何にも絵で見た鬼とも見えたのであらう 人間の活血を吸つたと云ふことは葡萄酒であつたかも知れぬ 又多くの婦女を巌塞[いはや]に捕へて酒席に侍らせたと云ふことも露西亜式である 今の浦塩辺りから漂流すれば風模様では恰度越後辺に漂着する見当となる ソコヲ前記の一皇子が部下数人を率ゐて漂流し無人島と思ひの外立派の島帝国であつたから暫く越後の某山に立籠り夫より北陸道を経て丹波大江山に移り時機の到来を待つてゐたのであるまいか 当時附近の郷長とも云ふべき日本人中に彼等に左袒して隠に彼等を助けてゐた奴を渡辺綱が計りごとを以て欺き我味方となして彼等の勢力を殺だのを羅生門で鬼の片腕を落したと謂ふことになつてゐるのであらうと自分は信じて居る云々 越後の某山といふことも拠る所があるだらうが浦塩丹波宮津と対ひあつて居る点から考へても酒顛童子が露国の一皇子であつたといふ事は事実らしい


◆『新愛知』明治40年4月7日


 ここで出て来るサイクル・ツーリングが趣味だという渡邊烏城がどういう人物なのかは調べてないので分からない。


 『日本怪異妖怪大事典』(東京堂出版、2013年)の「おに【鬼】」の項目では、鬼という語を得た日本人が、史上、鬼=「怖ろしいもの」というラベルをさまざまなものに貼っていったと指摘する。


 見逃せないのは、このラベルを、自分たちとは「異なる」人びと、たとえば海を渡って侵入して来る異民族の海賊や漂着者、山に棲む先住の集団、自分たちの支配に従わない周辺の人びとにも貼ったことである。その痕跡は、上述の大江山酒呑童子伝説にも刻み込まれている。この物語は、都(天皇・貴族)の側から物語である。その秩序を乱したから、酒呑童子は鬼として退治されたのであった*12
 


 また、藤澤衛彦も『日本伝説研究』で引用しているが、13世紀の説話集『古今著聞集』巻第十七・変化第廿七「承安元年七月伊豆國奥島に鬼の船着く事」は、およそ島への漂着者を「鬼」と見做した事例と思われるものだ。


 承安元年七月八日、伊豆國奥島の濱に、船一艘つきたりけり。島人ども、難風に吹きよせられたる船ぞと思て、行むかひて見るに、陸地より七八段ばかりへだてゝ、船をとヾめて、鬼、繩をおろして、海底の石に四方をつなぎて後、鬼八人、舟よりおりて海に入て、しばしありて岸にのぼりぬ。〔中略〕其かたち身は八九尺ばかりにて、髪は夜叉のごとし。身の色赤黒にて、眼まろくして猿の目のごとし。皆はだか也。身に毛おいず、蒲をくみて腰にまきたり。身にはやう/\の物がたをゑり入たり。まはりにふくりんをかけたり。各六七尺ばかりなる杖をぞもちたりける。〔後略〕*13

 ここであらためてこの俗説を検証・批判したり、つまり鬼=西洋人(ドイツ人、ロシア人)という俗説は外来の脅威に対する近代以降の解釈により生み出されたものなのである云々というような尤もらしい考察を加えるのはこの記事の趣旨から外れるので今回はしない。
 もっとちゃんとリサーチすればほかにもこの説に言及している研究・書籍はあると思うが、とりあえず確認・まとめることができた情報はココまで。補足をするとしたらまた次回に。


 ……つづく?

*1:井上円了井上円了選集 第十六巻』東洋大学、1999年、502〜503頁

*2:たとえばこういうの⇒ ・日本の伝承によく出る「鬼」って外人のことだったの? http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1383397276/、・鬼、天狗はロシア人か南蛮人って本当なの? - unkar http://unkar.org/r/min/1146876918

*3:たしか、映画にもなった「ドラえもん」の「ぼく、桃太郎のなんなのさ」が引用されていたと思う。この話では鬼の正体はオランダ人船長。

*4:補足:藤子・F・不二雄ドラえもん・ふしぎ探検シリーズ7 大昔大探検』(小学館、1993年)に、〈「おに」の正体は、日本の海でそう難した外国の人だった、と言う説もある。外国人の顔が、おにに見えたのかも。〉とあり、「ぼく、桃太郎のなんなのさ」(藤子・F・不二雄ドラえもん 9巻』〈てんとう虫コミックス〉(小学館、1975年初版)に収録)のコマが引用されている(特集「桃太郎は本当にいたの?」、97頁)。また、藤子・F・不二雄ドラえもん・ふしぎ探検シリーズ9 なぞの生き物大探検』(小学館、1993年)では、〈では、ほんとうに鬼という動物はいなかったのでしょうか?現在では、町をあらし回ったとうぞくや、たまたま日本に流れついた外国人などを見て、かんちがいしたのではないかといわれています。たとえば、はじめて外国人を見た明治時代の人が、浮世絵という絵を残しています。これを見ると、ほんとうに鬼そっくりに書かれていることがわかるのです。〉(特集「おにって本当にいたの?」、74頁)とある。

*5:ここ、あとから読み返すとトゲがあるように聞こえるが他意はない。

*6:高平鳴海ほか『Truth In Fantasy 鬼』、新紀元社、1999年、21頁

*7:高橋昌明『酒呑童子の誕生 もうひとつの日本文化』(中公新書)、中央公論社、1992年、ⅰ頁、「はじめに」

*8:前掲書、ⅱ頁、「はじめに」

*9:この辺、中公文庫BIBLIO版では訂正されているのかもしれないが、確認していない。

*10:ただし、『酒呑童子の誕生』で引用されているのは1937年の三笠書房版、近デジは1922年の大鐙閣版。

*11:藤澤衛彦『日本伝説研究 第1巻』大鐙閣、1922年、14頁

*12:小松和彦監修/常光徹山田奨治/飯倉義之編『日本怪異妖怪大事典』東京堂出版、2013年、102頁、小松和彦執筆「おに【鬼】」の項目

*13:日本古典文学大系84 古今著聞集』岩波書店、1966年、460頁

【妖怪メモ】七つ娘

『米子の妖怪』(立花書院、2005年)に、次のようにある。


七つ娘
 現在の米川橋ですなあ、あすこのとこに反対のところへ行くと中島の方へ行く土手をねえ、こっちに下がって来たとこに中島の方へ行く近道がある。避病院があってね、そこのところに近道があって、これを戻うのに夜さ遅んなあと、土手の縁にずーっと大きな松があった。その松のそらから下を通るのに、
「へへへへーっ」
 といって笑ってね、何しょっだいって、
「あの松の木には七つ娘が、夜さなると出てきて何だけん、通られへんでよ、あそこは」
 ていうことをねえ、親父からねえ、親父たちも逢ったもんだやどうか知らんけどねえ、そういうことをねえ聞いちょったですわ。


◆『米子の妖怪』、立花書院、2005年、157頁、「第2章 米子の妖怪 語り部の世界」より


「土手の縁にずーっと大きな松があった」というのは、米川沿いにあったという松林を指すと思われる*1。また同書によれば、「七つ娘」は「七尋女房」の類例であろうとされる*2

実際、「七尋女房」と内容はほぼ同じようなのだけども、呼び方が違うとだいぶ印象が違う。不気味というよりむしろ可愛い感じすらある(語感だけ)。へへへへーっ。

ただ、上記の文章を読む限り「七つ娘」の話では、「七尋女房」の特徴である長さには触れられておらず、「七」という数字が何を示しているのかがわからなくなってしまっている。

この辺りのこと、『新修米子市史 第5巻 民俗編』(米子市、2000年)及び酒井董美氏の著書などに言及がありそうだが、確認していない。

*1:「今はねえ、いろいろと地形も変わってしまって、〔中略〕とにかく大きな松がたくさんありまして、松林ですけど、この辺では山って言ってました。そこをずっと行くには、まあ、大篠津から米川に出て、米川の橋を渡ったところから、その松林が続くわけなんです。」『米子の妖怪』、立花書院、2005年、150頁、「狼ようのお種狐」

*2:「七尋といえば約十一メートルくらいなるが〔ママ〕、そのような背の高い女の妖怪であり、夕方から夜にかけて人々を驚かすが、特に人を殺すようなことはない。米子市中島の「七つ娘」も同類の別な名前といったところだろう。」、酒井董美「米子の妖怪」、『米子の妖怪』、立花書院、2005年、165頁

明治時代の幻の妖怪研究?−−今泉秀太郎「お化の話」(『一瓢雑話』より)

今年はなるべくブログを更新したい。というわけで、昨年にTwitterで少し言及してそのままになっていた小ネタ。


今泉秀太郎『一瓢雑話』(1901年)に「お化の話」というエッセイがある。

近代デジタルライブラリー - 一瓢雑話 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898198/56


今泉秀太郎については、とりあえずWikipedia参照。
 >今泉一瓢 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%B3%89%E4%B8%80%E7%93%A2


今泉は上記の文章の中で次のように述べている。


私は明治十五、六年の頃、不意とお化の絵を、集めて見たいといふ考を起しまして、まづ絵冊子類を買つたり、又借りたりして、初めの間は一々それを西洋画風に、画き直す積りで、着手して見ました所が、お化の絵は幾らでもある上に、画家が種々様々に工夫して、新しいものを拵へるから、迚も夫れを悉く写す事は、出来るものではないと、遂に思ひ切つて仕舞ひました。

〔・・・中略・・・〕

私は明治廿四年頃の時事新報紙上に、お化の絵を掲げました事が、御座いますが、其後別に新材料を得ませぬので、今日まで其儘に打ち過ぎて居ります。元来私の考では、井上圓了博士の様に、哲学上から研究を成す抔云ふ次第でなく、唯絵画上から妖怪の類別を為す事と、妖怪に就いて昔からの画家が、次第に進歩した考案を出して来る順序、又各国人の意想の相違して居る点を、明かにしたい位の事であります。後日沢山に材料を集める事が、出来ましたらば、改めて御覧に入れませう。


◆今泉秀太郎「お化の話」『一瓢雑話』、誠之堂、明治34年(1901)、81〜84頁


当時、慶應義塾に在籍していた今泉秀太郎がどのような経緯で「不意とお化の絵を、集めて見たいといふ考を起し」たのかこの文章から窺い知ることは出来ないが、明治における妖怪画への関心を示す例として面白い。

ただしこの本が出版された時点で今泉はすでに病床の身にあり、今泉自身の記すところによれば、本業の絵筆をとることすらままならない状況だったようだ*1。『一瓢雑話』は今泉の口述を記録した速記本の形で刊行された。

この本の刊行から3年後の明治37年、今泉一瓢は40歳の若さでこの世を去る。生来病弱だったこともあり、生前、画家としての今泉の活動は今一つぱっとしない。よって、上記で述べられている明治24年頃の『時事新報』紙上に掲載したという「お化の絵」や妖怪画の類別とその歴史をまとめ諸外国の妖怪に対する考え方を比較するという構想なども、恐らくはその後とくに顧みられることなく放置されたと思しい。

もしこの構想が実現していれば、美術史的な評価はともかく、江馬務『日本妖怪変化史』や吉川観方『絵画に見えたる妖怪』に先駆ける、妖怪研究史上の重要な存在として今泉秀太郎の名が残っていた可能性もなくはない(のかもしれない)。

*1:今泉秀太郎・術、福井順作・速記『一瓢雑話』、誠之堂、明治34年(1901)、2頁、「前口上」より http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898198/5