【妖怪メモ】七つ娘

『米子の妖怪』(立花書院、2005年)に、次のようにある。


七つ娘
 現在の米川橋ですなあ、あすこのとこに反対のところへ行くと中島の方へ行く土手をねえ、こっちに下がって来たとこに中島の方へ行く近道がある。避病院があってね、そこのところに近道があって、これを戻うのに夜さ遅んなあと、土手の縁にずーっと大きな松があった。その松のそらから下を通るのに、
「へへへへーっ」
 といって笑ってね、何しょっだいって、
「あの松の木には七つ娘が、夜さなると出てきて何だけん、通られへんでよ、あそこは」
 ていうことをねえ、親父からねえ、親父たちも逢ったもんだやどうか知らんけどねえ、そういうことをねえ聞いちょったですわ。


◆『米子の妖怪』、立花書院、2005年、157頁、「第2章 米子の妖怪 語り部の世界」より


「土手の縁にずーっと大きな松があった」というのは、米川沿いにあったという松林を指すと思われる*1。また同書によれば、「七つ娘」は「七尋女房」の類例であろうとされる*2

実際、「七尋女房」と内容はほぼ同じようなのだけども、呼び方が違うとだいぶ印象が違う。不気味というよりむしろ可愛い感じすらある(語感だけ)。へへへへーっ。

ただ、上記の文章を読む限り「七つ娘」の話では、「七尋女房」の特徴である長さには触れられておらず、「七」という数字が何を示しているのかがわからなくなってしまっている。

この辺りのこと、『新修米子市史 第5巻 民俗編』(米子市、2000年)及び酒井董美氏の著書などに言及がありそうだが、確認していない。

*1:「今はねえ、いろいろと地形も変わってしまって、〔中略〕とにかく大きな松がたくさんありまして、松林ですけど、この辺では山って言ってました。そこをずっと行くには、まあ、大篠津から米川に出て、米川の橋を渡ったところから、その松林が続くわけなんです。」『米子の妖怪』、立花書院、2005年、150頁、「狼ようのお種狐」

*2:「七尋といえば約十一メートルくらいなるが〔ママ〕、そのような背の高い女の妖怪であり、夕方から夜にかけて人々を驚かすが、特に人を殺すようなことはない。米子市中島の「七つ娘」も同類の別な名前といったところだろう。」、酒井董美「米子の妖怪」、『米子の妖怪』、立花書院、2005年、165頁