【妖怪メモ】鬼は日本に漂流してきた西洋人という俗説(1)


また、わが四国、九州地方には南洋インド諸島より漂泊して、深く山間に潜み、果実を食いて生活せし人種なしというべからず。もし人、偶然かかる異人種を発見することあらんには、また必ず怪物と見なすべし。


井上円了『妖怪学講義』「第二 理学部門 第五講 異人編 第四六節 山男、山女、山姥、雪女、鬼女」(1894年)*1


 鬼は日本に漂流してきた西洋人であるという俗説がある。
 ネット上でのカキコミは掲示板や知恵袋系のサイトを中心に多く見られるものの*2、ざっと検索をかけた限りでははっきりと出典を示しているものはほとんど見当たらない。また、こういった俗説の類はだいたいうぃきぺでぃあ先生に聞けば何かしら書いてるんじゃないかと見てみるも、Wikipedia「鬼」「酒呑童子」の項目にこの説に関する言及はない(少なくともこのブログ記事を書いている時点では)。

 そもそもこの鬼=西洋人説をまとめたものがネット上にあまりないことに気づいた。とりあえず自分のすぐ手の届く範囲にある資料から分かる情報をメモ的にまとめてみる。


 ちなみに、ぼくがこの説をはじめて知ったのは多分小学生の頃に読んだ学習マンガだったと思う。
 幼少期に読んだものでとくに印象に残っているのが90年代はじめに刊行された小学館の「ドラえもんふしぎ探検シリーズ」*3 *4

なぞの生き物大探検 (ドラえもんふしぎ探検シリーズ (9))

なぞの生き物大探検 (ドラえもんふしぎ探検シリーズ (9))

世界のふしぎ大探検 (ドラえもん・ふしぎ探検シリーズ)

世界のふしぎ大探検 (ドラえもん・ふしぎ探検シリーズ)


 今回あらためて再読しようと近隣のこども図書館の蔵書を検索したところ、どこの館も貸出中になっており、発売から20年以上経った現在もなお多くの児童に親しまれているシリーズとおぼしい。
 あまり以前の状況は分からないが、これら学習マンガの類がこの手の俗説の流布に加担している比重は結構なものなのではないかと思うがどうなんだろうか。


 それはそれとして、鬼=西洋人説が載っている書籍を探すとこれが意外と何にでも書いてあるというわけではない。

 よく言われるネタなのでサブカル本などでそれなりに言及されているだろうとみくびっていたら、世間で話の枕にされる頻度ほどにはどうもそのソースは多くないっぽい?
 たとえば今回すぐに確認できたものとして、多田克己『Truth in fantasy 9 幻想世界の住人たち4 日本編』(新紀元社、1990年)、『妖怪の本 異界の闇に蠢く百鬼夜行の伝説(Books Esoterica 第24号)』(学習研究社、1999年)、新しいもので"物の怪"民俗研究会『物の怪の正体 怪異のルーツとあれやこれ』(笠倉出版社、2014年)などのサブカル系の書籍、また馬場あき子『鬼の研究』(三一書房、1971年)、知切光歳『鬼の研究』(大陸書房、1978年)、小松和彦責任編集『怪異の民俗学4 鬼』(河出書房新社、2000年)、小松和彦編著『図解雑学 日本の妖怪』(ナツメ社、2009年)...等々を見てみたが目立った言及はない。
 もちろん今回当たったものは目についてすぐに確認できた書籍だけであり、参照すべきものはまだまだあるのだとは思うが、「昔話に出て来る鬼は当時の日本に漂流してきた西洋人なんだよ!」という話を持ち出すひとはみなさん何を根拠というか元ネタにしてるのか、という疑問が湧いてくる*5


 新紀元社のTruth In Fantasyシリーズ『鬼』の「酒呑童子」の章でのコラム「名の由来説」では「酒呑童子紅毛人説」を紹介している。 


 その昔、この地にドイツ人が漂着した。その名をシュテイン・ドッチといい、これが「しゅてん・どうじ」の正体だというのである。ドッチはフランドルの貴族で冒険家だった。宋からジパングに渡ろうとして嵐に巻き込まれ、丹波に漂流し山賊の頭目になったという話が伝わっているが……?
 似たような外人説で、漂流したのはロシア人ではないかという説もある。
 また、童子が好んで飲んでいたとされる生き血は、西洋人が持ち込んだブドウ酒だったという解釈もされる*6

鬼 (Truth In Fantasy)

鬼 (Truth In Fantasy)


 この「酒呑童子紅毛人説」に対し、このコラムでは「妙にリアリティがある」としている。
 この説はこの書籍の参考文献にもある高橋昌明『酒呑童子の誕生 もうひとつの日本文化』(中公新書、1992年)において紹介されているもので、このコラムはほぼ本書該当部分を要約したものだ。


 『酒呑童子の誕生』の序文では、著者が考古学者の都出比呂志氏から「酒呑童子というのは丹後に漂着したシュタイン・ドッチというドイツ人で、彼が飲んだという人の生き血は赤ぶどう酒だったという説」を紹介されたこと、作家の永井路子氏の紹介により村上元三の短編小説「酒顛童子」が「フランドルの貴族で冒険家」であるシュタイン・ドッチが「宋からジパングに渡ろうとして嵐で丹後に漂着、山賊の頭目になった」という筋であることを知ったことが述べられている*7

 加えて興味深いのは次のくだり。酒呑童子はロシア人だという話が現地ではそれなりに説得力を持つものとして言い伝えられているというはなし。


 さらに数ヵ月後、丹後の現地調査におつき合いいただいた地元宮津市の大石信氏から、いろいろ教わるところがあった。氏の世代は、童子は丹後の浜辺に漂着した西洋人、と両親や祖父母から聞いたという。大石氏は一九二四年(大正一三)のお生まれだから、計算すれば、話は大正から昭和初年には現地で語られていたことになる。
 また、これも氏から教えていただいたものだが、一九二八年(昭和三)発表の小川寿一氏の「大江山伝説考」に、「この髪赤しの形容が童子を丹後の海辺に漂着した西洋人を思はせてゐる」「日本海に漂着して丹後海辺に漂着した西洋人がこの山に入り込んで、葡萄酒を飲んでゐた。それを血を飲んだと思ひこんだのかもしれぬ」とある。
 多分それを意識しているのであろう、九年後の藤沢衛彦著『日本伝説研究』にも「或者は、彼こそ丹後の海辺に漂流した西洋人であつて、髪赤しの形容が之を証してゐる。そして、その人間の血を呑むと見たは葡萄酒であつたであらうといひ」と見えている。国文学者や伝説研究家も、早くからこの種の解釈に着目していたようだ。あるいは村上氏の短編のネタかもしれぬ。ぶどう酒のことも出てくるから、都出氏の聞いたラジオ番組も、これらに題材をえたのでは。
 さらに大石氏は、大江山(千丈ヶ嶽)や天の橋立など現地をご案内いただく道々、当地では西洋人の国籍をロシア人と伝えている、日露戦争による対外緊張が言い伝えを生んだ源ではないか、近くに日本海日本海軍の舞鶴鎮守府もあったので、とのお考えを聞かせてくださった*8

酒呑童子の誕生―もうひとつの日本文化 (中公文庫BIBLIO)

酒呑童子の誕生―もうひとつの日本文化 (中公文庫BIBLIO)

※画像は中公文庫BIBLIOからの復刊。

 『酒呑童子の誕生』では、1937年の三笠書房版を参照して藤澤衛彦『日本伝説研究』の記述が小川寿一氏の論考を意識したものだろうと推測されているが、酒呑童子に関して述べられている『日本伝説研究 第1巻』は1922年の大鐙閣版が初出であるので、小川氏のほうが後出ということになる*9
 
 藤澤衛彦『日本伝説研究』の該当箇所は近デジで読める*10
  ⇒近代デジタルライブラリー - 日本伝説研究. 第1巻 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972231/22

 補足しておくと、藤澤衛彦はこの酒呑童子西洋人説には否定的である旨を述べている。


尤も、其鬼人に、角生ふるとしたは、異人種に対する上代伝統の常套思想であつたともされやうが、又思ふに、盗賊を擬して鬼となしたのは、当時一般の俗信であつて、前述の如く、それはただに酒顛童子へばかりの呼称ではなかつたのである*11


 さらに今回、湯本豪一編『明治期怪異妖怪記事資料集成』(国書刊行会、2009年)を見ていたら、この話のソースのひとつになるかもしれないものとして明治40年の新聞記事を見つけたので少し長くなるが以下に全文引用。


「●酒顛童子は露国の皇子」
三歳童も知れる大江山の酒顛童子に就ては種々なる説あるが今最も新しく思へるは左の説なり 永く韓国京城に住める渡邊烏城氏が其好める自転車旅行を新潟に試みし時越後の某山(山名を逸す)に酒顛童子が籠つて居た事跡を発見したりとて人に語りし處によると大江山酒顛童子は露国人であるといふ一の推定を得た 即ち酒顛童子大江山で朝夕使用したと称する器物は宮内府に納まつて居る 此器物は先年一露国人が実見して露国古代の宮廷の器物であると云ふことを鑑定した 而して丁度露国の一皇子が宮廷を脱して行方不明となつたといふ時代が大江山時代に符合して居る 酒顛童子が大酒を飲んだと云ふことは露国人がウオツカやブランデー将たウイスキーなど酒を嗜む点に似てゐるではないか 肥大な体格に獣皮などの防寒外套を着し防寒靴を穿き毛色目色の変つた所の日本人には如何にも絵で見た鬼とも見えたのであらう 人間の活血を吸つたと云ふことは葡萄酒であつたかも知れぬ 又多くの婦女を巌塞[いはや]に捕へて酒席に侍らせたと云ふことも露西亜式である 今の浦塩辺りから漂流すれば風模様では恰度越後辺に漂着する見当となる ソコヲ前記の一皇子が部下数人を率ゐて漂流し無人島と思ひの外立派の島帝国であつたから暫く越後の某山に立籠り夫より北陸道を経て丹波大江山に移り時機の到来を待つてゐたのであるまいか 当時附近の郷長とも云ふべき日本人中に彼等に左袒して隠に彼等を助けてゐた奴を渡辺綱が計りごとを以て欺き我味方となして彼等の勢力を殺だのを羅生門で鬼の片腕を落したと謂ふことになつてゐるのであらうと自分は信じて居る云々 越後の某山といふことも拠る所があるだらうが浦塩丹波宮津と対ひあつて居る点から考へても酒顛童子が露国の一皇子であつたといふ事は事実らしい


◆『新愛知』明治40年4月7日


 ここで出て来るサイクル・ツーリングが趣味だという渡邊烏城がどういう人物なのかは調べてないので分からない。


 『日本怪異妖怪大事典』(東京堂出版、2013年)の「おに【鬼】」の項目では、鬼という語を得た日本人が、史上、鬼=「怖ろしいもの」というラベルをさまざまなものに貼っていったと指摘する。


 見逃せないのは、このラベルを、自分たちとは「異なる」人びと、たとえば海を渡って侵入して来る異民族の海賊や漂着者、山に棲む先住の集団、自分たちの支配に従わない周辺の人びとにも貼ったことである。その痕跡は、上述の大江山酒呑童子伝説にも刻み込まれている。この物語は、都(天皇・貴族)の側から物語である。その秩序を乱したから、酒呑童子は鬼として退治されたのであった*12
 


 また、藤澤衛彦も『日本伝説研究』で引用しているが、13世紀の説話集『古今著聞集』巻第十七・変化第廿七「承安元年七月伊豆國奥島に鬼の船着く事」は、およそ島への漂着者を「鬼」と見做した事例と思われるものだ。


 承安元年七月八日、伊豆國奥島の濱に、船一艘つきたりけり。島人ども、難風に吹きよせられたる船ぞと思て、行むかひて見るに、陸地より七八段ばかりへだてゝ、船をとヾめて、鬼、繩をおろして、海底の石に四方をつなぎて後、鬼八人、舟よりおりて海に入て、しばしありて岸にのぼりぬ。〔中略〕其かたち身は八九尺ばかりにて、髪は夜叉のごとし。身の色赤黒にて、眼まろくして猿の目のごとし。皆はだか也。身に毛おいず、蒲をくみて腰にまきたり。身にはやう/\の物がたをゑり入たり。まはりにふくりんをかけたり。各六七尺ばかりなる杖をぞもちたりける。〔後略〕*13

 ここであらためてこの俗説を検証・批判したり、つまり鬼=西洋人(ドイツ人、ロシア人)という俗説は外来の脅威に対する近代以降の解釈により生み出されたものなのである云々というような尤もらしい考察を加えるのはこの記事の趣旨から外れるので今回はしない。
 もっとちゃんとリサーチすればほかにもこの説に言及している研究・書籍はあると思うが、とりあえず確認・まとめることができた情報はココまで。補足をするとしたらまた次回に。


 ……つづく?

*1:井上円了井上円了選集 第十六巻』東洋大学、1999年、502〜503頁

*2:たとえばこういうの⇒ ・日本の伝承によく出る「鬼」って外人のことだったの? http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1383397276/、・鬼、天狗はロシア人か南蛮人って本当なの? - unkar http://unkar.org/r/min/1146876918

*3:たしか、映画にもなった「ドラえもん」の「ぼく、桃太郎のなんなのさ」が引用されていたと思う。この話では鬼の正体はオランダ人船長。

*4:補足:藤子・F・不二雄ドラえもん・ふしぎ探検シリーズ7 大昔大探検』(小学館、1993年)に、〈「おに」の正体は、日本の海でそう難した外国の人だった、と言う説もある。外国人の顔が、おにに見えたのかも。〉とあり、「ぼく、桃太郎のなんなのさ」(藤子・F・不二雄ドラえもん 9巻』〈てんとう虫コミックス〉(小学館、1975年初版)に収録)のコマが引用されている(特集「桃太郎は本当にいたの?」、97頁)。また、藤子・F・不二雄ドラえもん・ふしぎ探検シリーズ9 なぞの生き物大探検』(小学館、1993年)では、〈では、ほんとうに鬼という動物はいなかったのでしょうか?現在では、町をあらし回ったとうぞくや、たまたま日本に流れついた外国人などを見て、かんちがいしたのではないかといわれています。たとえば、はじめて外国人を見た明治時代の人が、浮世絵という絵を残しています。これを見ると、ほんとうに鬼そっくりに書かれていることがわかるのです。〉(特集「おにって本当にいたの?」、74頁)とある。

*5:ここ、あとから読み返すとトゲがあるように聞こえるが他意はない。

*6:高平鳴海ほか『Truth In Fantasy 鬼』、新紀元社、1999年、21頁

*7:高橋昌明『酒呑童子の誕生 もうひとつの日本文化』(中公新書)、中央公論社、1992年、ⅰ頁、「はじめに」

*8:前掲書、ⅱ頁、「はじめに」

*9:この辺、中公文庫BIBLIO版では訂正されているのかもしれないが、確認していない。

*10:ただし、『酒呑童子の誕生』で引用されているのは1937年の三笠書房版、近デジは1922年の大鐙閣版。

*11:藤澤衛彦『日本伝説研究 第1巻』大鐙閣、1922年、14頁

*12:小松和彦監修/常光徹山田奨治/飯倉義之編『日本怪異妖怪大事典』東京堂出版、2013年、102頁、小松和彦執筆「おに【鬼】」の項目

*13:日本古典文学大系84 古今著聞集』岩波書店、1966年、460頁