【暫定】辞書に見えたる「妖怪」――各種国語辞典における「妖怪」の用例とそれ以外

■各種国語辞典等の「妖怪」の定義


――辞書に見えたる「妖怪」。


吉川観方の有名な著書*1にあやかって大仰な見出しをつけてしまったけども、要はすでに言及されていることの事実確認だ。
何か珍しい妖怪の報告でもなければ、ネットでもたびたび話題になる「妖怪の定義とは」という議論とも外れた話であるので悪しからず。

文庫版 妖怪の理 妖怪の檻 (角川文庫)

文庫版 妖怪の理 妖怪の檻 (角川文庫)


京極夏彦は『妖怪の理 妖怪の檻』の中で、『広辞苑 第二版』(岩波書店、1969年/補訂版1976年)と『広辞苑 第四版』(岩波書店、1991年)のふたつの「妖怪」の項を引き比べて次のように述べている。

 ほぼ同じ説明ですが、どうしたことか時代が下った方が詳しくなっています。
 これは「妖怪」という言葉の意味が時代と共に複雑になった、多様化したということではないようです。むしろ曖昧なものから、より明確なものになってきたということでしょう。なぜなら、語義が増えたというわけではないからです。詳しくなったといっても、用例と、「妖怪変化」という成語が加わっただけです。
 いずれの説明にも「ばけもの」という言葉が使われています。しかし「現象」「物体」という説明が先になされているところから、「ばけもの」だけを指し示す言葉ではないというニュアンスも感じられます。
 この説明を見る限り、私たちが普段口にしている「妖怪」という言葉は、どうやら「妖怪変化」という成語の方に意味が近いようです。


京極夏彦『文庫版 妖怪の理 妖怪の檻』(角川文庫16926)、角川書店、2011年、49〜50頁


同著では上記の引用以降、続けて妖怪とは何か?という問いについてさまざまな考察がなされていくわけだが、では実際「妖怪」という言葉は近現代の辞書においてどのように記載されてきたのか。ここではあえてそのような、本題からちょっとズレた疑問について少し確認してみたい。


以下のリストは明治から現在までに出版された各種国語辞典に記載されている「妖怪」の項目を抜粋、年代順に羅列したものだ。

なお、漢字は新字体を使用し、仮名は原文のままとした。また、用例は省略した。

出版年 編著者 タイトル 出版者 内容
1888 物集高見 日本大辞典 ことばのはやし みづほや  記載なし 
1889 大槻文彦 言海 大槻文彦 バケモノ。変化(ヘンゲ)。
1895 山田美妙 日本大辞書 明法堂 ヘンゲ。=アヤシイモノ。=エウマ。=マ。
1896 藤井乙男 帝国大辞典 三省堂書店 へんぐゑ、ばけもの、えうま、などいふに同じく、すべて、あやしむべく、不思議なるものをいへり。
1901 落合直文 訂正増補 日本大辞典 ことはの泉 大倉書店 妖怪。ばけもの。へんげ。
1907 金澤庄三郎 辞林 三省堂 へんげ。ばけもの。えうま。
1908 国語漢文研究会 国語漢文 大辞林 杉本書店 あやしきもの、ばけもの。
1914 郁文舎編輯所 辞海 郁文舎 ばけもの。へんげ。妖魔。
1922 落合直文 著、芳賀矢一 改修 言泉:日本大辞典 (第一巻)あ‐か 大倉書店 ばけもの。へんげ。
1925 金澤庄三郎 廣辞林 三省堂 へんげ。ばけもの。えうま。
1935 新村出 辞苑 博文館 人智では不思議と考へられる現象又は異様な物体。現代では学術的に説明出来るものが多く、大抵は物理的及び心理的現象や、偶然的な見誤りである。へんげ。
1949 新村出 言林 全国書房 人知では不思議と考えられる現象又は異様な物体。現代では、学術的に説明できるものが多く、大抵は物理的及び心理的現象や、偶然的な見誤である。ばけもの。へんげ。
1959 大槻文彦 著、大槻茂雄 補 言海 日本書院 あやしいもの。ばけもの。変化へんげ
1961 新村出 言林 小学館 人知では不思議と考えられる現象又は異様な物体。現代では、学術的に説明できるものが多く、大抵は物理的及び心理的現象や、偶然的な見誤りである。ばけもの。へんげ。
1966 大槻文彦 新訂大言海 冨書房 バケモノ。変化(ヘンゲ)。
1966 上田萬年、松井簡治 修訂 大日本国語辞典 新装版 冨書房 あやしきもの。ばけもの。へんげ。
1976 日本大辞典刊行会 日本国語大辞典 第二十巻 小学館 ➀人の知恵では理解できない不思議な現象や、ばけもの。変化(へんげ)。ようけ。 ➁(形動)あやしい感じのすること。わざわいを招きそうな不吉なさま。 ➂わざわいと危険。
1977 新村出 広辞苑 第二版 岩波書店 人知で不思議と考えられるような現象または異様な物体。ばけもの。へんげ。
1981 尚学図書 国語大辞典 小学館 ➀人の知恵では理解できない不思議な現象や、ばけもの。変化(へんげ)。ようけ。「妖怪変化」 ➁(形動)あやしい感じのすること。わざわいを招きそうな不吉なさま。 ➂わざわいと危険。
1983 梅沢忠夫[ほか] 大事典 desk 講談社 現実には存在しない異様な姿の生物や物体。化物(ばけもの)。変化(へんげ)。
1985 金田一晴彦、池田弥三郎 学研国語大辞典 学習研究社 人知でははかり知れない奇怪な姿をしたもの。未だかつて見たこともないような不気味なもの。ばけもの。(類)変化へんげ
1986 西尾実岩淵悦太郎水谷静夫 岩波国語辞典 第4版 岩波書店 人知では不思議と考えられるような現象。特に、ばけもの。
1988 松村明 大辞泉 増補・新装版 小学館 人の理解を超えた不思議な現象や不気味な物体。想像上の天狗てんぐ・一つ目小僧・河童かっぱなど。化け物。 ―変化【妖怪変化】《類似した意味の「妖怪」と「変化」を重ねたもの》あやしい化け物。
1988 松村明 大辞林 三省堂 日常の経験や理解を超えた不思議な存在や現象。山姥・天狗・一つ目小僧・海坊主・河童・雪女など。ばけもの。 ―へんげ【妖怪変化】〔類義の語を重ねたもの〕人知を超えた不思議な化け物。
1989 梅沢忠夫[ほか] 講談社 カラー版 日本語大辞典 講談社 現実には存在しない異様な姿の生物や物体。幽霊と違い不特定の人の前に現れるという。化け物。変化 へんげ。
1991 金田一京助[ほか] 新明解国語辞典 第四版 三省堂 何が化けたのか分からないが、人を驚かす不思議な変化を見せるもの。化け物。
1991 新村出 広辞苑 第四版 岩波書店 人知では解明できない奇怪な現象または異様な物体。ばけもの。―・変化【妖怪変化】妖怪が姿を見せたようなあやしいもの。あやしいばけもの。
1994 西尾実岩淵悦太郎水谷静夫 岩波国語辞典 第五版 岩波書店 人知では不思議と考えられるような現象。特に、ばけもの。
1995 松村明 大辞林 第二版 三省堂 日常の経験や理解を超えた不思議な存在や現象。山姥・天狗・一つ目小僧・海坊主・河童・雪女など。ばけもの。 ―へんげ【妖怪変化】〔類義の語を重ねたもの〕人知を超えた不思議な化け物。
1995 梅沢忠夫[ほか] 講談社 カラー版 日本語大辞典 第二版 小学館 現実には存在しない異様な姿の生物や物体。幽霊と違い不特定の人の前に現れるという。化け物。変化へんげ。Specter [用例]―変化。
1998 新村出 広辞苑 第五版 岩波書店 人知では解明できない奇怪な現象または異様な物体。ばけもの。 ―・変化【妖怪変化】妖怪が姿を見せたようなあやしいもの。あやしいばけもの。
2000 西尾実岩淵悦太郎水谷静夫 岩波国語辞典 第六版 岩波書店 人知では不思議と考えられるような現象。特に、ばけもの。
2002 日本国語大辞典第二版編集委員会小学館国語辞典編集部 日本国語大辞典 第二版 第十三巻 小学館 ➀人の知恵では理解できない不思議な現象や、ばけもの。変化(へんげ)。ようけ。妖鬼。 ➁(形動)あやしい感じのするさま。ようけ。➂わざわいと危険。 [方言]貪欲でずるいこと。富山県砺波「ようかい者」398
2006 新村出 広辞苑 第六版 岩波書店 人知では解明できない奇怪な現象または異様な物体。ばけもの。 ―・変化【妖怪変化】妖怪が姿を見せたようなあやしいもの。あやしいばけもの。
2006 松村明 大辞林 第三版 三省堂 日常の経験や理解を超えた不思議な存在や現象。山姥・天狗・一つ目小僧・海坊主・河童・雪女など。ばけもの。 ―へんげ【妖怪変化】〔類義の語を重ねたもの〕人知を超えた不思議な化け物。
2008 金田一晴彦、金田一秀穂 学研現代新国語辞典 改訂第四版 学習研究社 奇怪な姿をした化け物。
2010 中村明 日本語 語感の辞典 岩波書店 人の知恵では説明のつかない不思議な現象としての化け物をさして、会話にも文章にも使われる古風な漢語。〈―変化へんげのたぐい〉〈―の棲すみ処か〉 ・志賀直哉の『邦子』に「狐狸―でも」とある。 →お化け・〇化け物・亡霊・幽霊
2010 三省堂編修所 見やすい現代国語辞典 三省堂 化け物。
2011 北原保雄 明鏡国語辞典第二版 大型版 大修館書店 人間の科学知識などでは理解できない不思議な現象や存在。ばけもの。
2012 松村明 大辞泉 第二版 下巻 せ‐ん 小学館 人の理解を超えた不思議な現象や不気味な物体。想像上の天狗てんぐ・一つ目小僧・河童かっぱなど。化け物。  [類語]化け物・お化け・怪物・鬼・魔・魔物・通り魔
2012 山田忠雄[ほか] 新明解国語辞典 第七版 三省堂 正体が何か分からないが、人を驚かす不思議な変化を見せるもの。化け物。


目立った辞書の記述について、順に簡単に述べてみる。


・『言海』、『日本大辞書』など明治期の辞書はだいたい「バケモノ」「ヘンゲ」「エウマ(妖魔)」といった類義語を列記しているのみで説明らしい説明は見られない。

・『広辞苑』をはじめとする新村出の編纂した辞書では「人知では不思議と考えられる現象又は異様な物体」という記述がなされる。逆に言えば、それ以前の辞書ではこういった詳しい、回りくどい言い方はされていないようだ。

・その後の辞書では、妖怪の類義語として「ばけもの」「変化」はほぼ変わらず挙げられているのに対して、「妖魔」はある時期を境に記載されなくなっている。

・1988年に登場した『大辞林』が「山姥・天狗・一つ目小僧・海坊主・河童・雪女など」と個別の妖怪の具体例を挙げているのは、現在一般にどういったものが「妖怪」と想定されているのかが垣間見える。妖怪ブーム以後の辞書という感じがする。

・近年登場してきたユニークな辞書の記述について言えば、見やすさを優先しなるべく簡潔な語義解説を目指したという『見やすい現代国語辞典』(三省堂、2010年)は、ただ「化物。」とのみ記している。

・「著者の日本語研究の集大成として「語感の違い(=ニュアンス)」を中心に解説した」*2という、中村明『日本語 語感の辞典』(岩波書店、2010年)は、「人の知恵では説明のつかない不思議な現象としての化け物をさして、会話にも文章にも使われる古風な漢語」と説明するが、却ってよくわからなくなっている気もする。


■辞書的意味以外での「妖怪」

以下はちょっとした蛇足と思っていただきたい。

上記のリストに挙げたような辞書的な語義としての「妖怪」の中にはないが、世間で広く使われている「妖怪」の用法がある。

それは、「昭和の妖怪 岸信介」「政界に巣食う妖怪」というような場合の「妖怪」である。


多門靖容は論文「神、仏、鬼、妖怪、怪物らしさ」で次のように述べている。


 辞書では妖怪を人の比喩として扱っていない。概略〈不思議な存在〉とするものが多い。


◆多門靖容「神、仏、鬼、妖怪、怪物らしさ」『表現研究』(62)、表現学会、1995年9月、38頁

この言及は上記のリストからも明らかなことだ。

同論文によれば、人に対する慣用的比喩として使用される「妖怪」(あるいは「怪物」)は、その対象において通常ある年齢までしか保持されないであろう「高い技術」「パワー(体力、気力)」「執着心」などが高齢に至っても保たれる場合に用いられ、また他に見た目の「異形性」が加わりその意味が強調されるとする*3

論文中で触れられていない他の比喩的用例として、人物でなく特定のイズムを「妖怪」と揶揄することがあるが、これはまた別の意味合いを含むように思う。


この比喩的な「妖怪」の用例については言語学の分野で多少の言及がなされているようだ。その方面には全く詳しくないのでまた別の機会に触れたい。


分析概念として用いられる「妖怪」の範囲においては、このような比喩的・風刺的意味での「妖怪」はおよそ当てはまらない。というか、本来の目的と逸脱するので作業上で排除されるものだ。


岸信介は妖怪事典には記載されない。


為政者を妖怪になぞらえる人為というものを抜きに妖怪造形や妖怪言説を論じることはできないわけだけども、このような比喩的意味での「妖怪」の用法の整理はあまりきちんと考えたことがなかった。すでに誰かやってる方がいるのかもしれないが不勉強で知らない。

風刺的な意味での「妖怪」について考え出すと、これは擬人化の一種なのか?むしろ擬妖怪化とでもいうべきものなんじゃないか?とか要らぬ邪念がうずくのだけども、あるいは通俗的な妖怪概念の形成をややこしくしている原因のひとつにこの辺りの問題があるのではないだろうかとも思う。



おそらく多くの妖怪好きが期待するであろうところとは離れた作業をしてしまった。だけどもまあ、満足感はある。

辞書の項目を並べただけでエラソーなこと言ってんじゃねーよという批判は甘んじて受け入れます。だらだらと書いてきてしまったので今回はこのへんにて了。


追記:大辞林』初版の発行年が間違っていました。訂正してお詫び申し上げます。〔×1998年→○1988年〕(2014年2月1日)

*1:吉川観方『絵画に見えたる妖怪』、美術図書出版部、1925年

*2:https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/08/1/0803130.html

*3:多門靖容「神、仏、鬼、妖怪、怪物らしさ」『表現研究』(62)、表現学会、1995年9月、39頁 http://ci.nii.ac.jp/naid/40003274956