宮武外骨編『骨董雑誌』にみる怪異妖怪記事

 図書館で『骨董雑誌』をめくっていたら妖怪的に面白そうな記事がけっこうあったのでまとめてみることにした。ざっくりまとめただけで抜けや勘違いがあるかもしれないので、随時訂正するかも。
 
 『骨董雑誌』は宮武外骨が編集発行をしたいくつかの雑誌のひとつである。明治29年(1896)11月〜明治31年(1898)6月の間に号外を含めて全12冊が発行された。後続誌として『骨董協会雑誌』全4冊がある。

 『骨董雑誌』および『骨董協会雑誌』は、『頓智協会雑誌』や『滑稽新聞』と比べてユーモアや風刺の要素が見られないことなどから、宮武外骨の仕事としてよく知られているとはあまりいえないところがある。なので、雑誌そのもののことを少し紹介する必要があるだろう。

 『骨董雑誌』の記事は「論説」「骨董」「叢談」「文苑」「問答」「雑録」「新聞」「集古百種」「半狂堂随筆」などのコーナーから成り、さらに「骨董」のコーナーは「袋物」「古銭」「祭具」「武器」「図書」「盆栽」「文具」「盆石」「楽器」「書画」「雑品」といった項目に分けられていた(といっても「骨董」欄のこの区分けは第3号までしか続かないのだが)。

 図書とか盆栽は「骨董」なのか?という疑問には、第1号の「問答」欄(つまりQ&Aコーナー)に、「骨董の字義よりいふも世間慣用の範囲よりいふも書画、盆栽、図書等は骨董の部類にあらず、然れども本誌の記事は必竟坊間の骨董舗に倣ふものなり彼の店頭には幅物、植木、写本の類をも雑陳するにあらずや」*1という答えが用意されている。一般的な意味での「骨董」というよりも、あくまで骨董品屋に並ぶようなものを対象としたということらしい。
 
 『骨董雑誌』創刊の理由は第2号の目次横に掲げられた「謹デ本誌愛読家諸君ニ告グ」によれば、以下のような経緯であったと外骨は述べる。

〔前略〕…本年六月三陸地方大海嘯の後聊か保養旁々友人骨董家木村某氏と倶に其視察に赴きし際陸中釜石港にて同地の豪商故小軽米汪氏(岩手県会常置委員)の遺族老母と実弟が恰も乞食小屋の如き内に漂着の器具(世帯道具はじめ金屏風の破れ銀瓶の潰れ等)を拾ひ集めて纔に露命を繋ぎ居たる惨状を目撃し此一事は特に余の脳裡を去らざりしが旅中木村氏と互に悲惨同情談の外木村氏より骨董物に関する奇事内幕等を聞取りたると一ツには耳底に残れる右小軽米氏の老母が此金屏風と銀瓶は紀念のために子孫へ残さんなど涙ながらの物語を相連合して終に余の宿癖を挑発し茲に図らずも此骨董雑誌の発行を思立たしむるに至りたる次第なり…〔後略〕

 明治29年(1896)6月、三陸地震直後の被災地現地視察での体験を通じて雑誌の創刊を決意したのだという。
 実際、『骨董雑誌』第1号では、外骨が視察の際に現在の宮城県気仙沼市大峠山綱木坂の辺りにある茶屋で、熊の掌を打ち付けた額を見た話をレポートしている*2

 日本で最初の骨董の専門誌*3はこうしてはじまった。

 
 さて、前置きはこれくらいにしてそろそろ本題に入ろう。『骨董雑誌』を読むと、骨董品の紹介や考証、それにまつわる奇事逸話に交じって「怪異妖怪記事」と呼んでも差し支えないような記事がいくらかあることに気づく。

 それらをとりあえずリスト化したのが以下の表である。
 表に挙げた記事のうち、執筆者も出典もとくに記載のない記事は基本的に宮武外骨の筆によるものと考えてよいだろう。
 なお、今回は明治31年(1898)3月発行の「号外」は確認できていない。


(表)骨董雑誌の怪異妖怪記事一覧

整理番号 掲載巻号 発行年月 コーナー タイトル 執筆者 出典 内容 備考
1   第2号 1896.12 新聞 大阪城落城の際の血刀 ---- 報知新聞 大阪城落城時から伝わるという古刀には鮮やかな血痕が残っていた ----
2   第3号 1897.1 骨董(盆石) 産女石 ---- ---- 衆議院議員吉村成行氏の家に伝わる産女から贈られたという怪石 ----
3 第2編第1号 1897.4 骨董 皿屋敷の皿 ---- 煙草雑誌 佐賀県材木町池田干六氏の所蔵する珍しい皿 編者コメントあり
4 第2編第1号 1897.4 雑録 日本名物不思議骨董集(天) ---- ---- 「瑞岩寺の翁面」「望夫石」「剱権現の剱」「無間の鐘」の4話を紹介 ----
5 第2編第1号 1897.4 新聞 名刀怪談 ---- 東京朝日新聞 浅草の教善院に伝わる名刀正宗の刀身のみがいつの間にか消え失せ別の場所に現れる ----
6 第2編第1号 1897.4 集古百種 「骨董物語」夜光玉、魚住水晶、軽重石 橘南谿 北窓瑣談 奇石珍玉の信憑性に疑義を呈す ----
7 第2編第2号 1897.5 骨董 皿屋敷の皿に付異説 東京 車山楼主人 投稿 盛岡の大泉寺にお菊の皿4枚が伝わる ----
8 第2編第2号 1897.5 雑録 日本名物不思議骨董集(地) ---- ---- 「苔野ヶ淵の沓石」「大峰の鐘」「総持院の書使地蔵」「泉州の瓶」「浅草寺の絵馬」の5話を紹介 ----
9 第2編第3号 1897.7 骨董 皿屋敷の皿に付再異説 ---- ---- 『知玉叢誌』(明治23年)の説を紹介 ----
10 第2編第3号 1897.7 骨董 仏像石 東京牛込神楽坂下 風処子 投稿 高祖父が夢告げによって得たと伝える、中心に仏像と称する黒い小塊のある鼈甲のような石 編者コメントあり
11 第2編第3号 1897.7 新聞 宝珠観音石 ---- 北陸新聞 三野昌平氏の所蔵する宝珠観音に似た形の石は斎持呪誦すれば必ず宝を降らすという ----
12 第2編第4号 1897.7 雑録 日本名物不思議骨董集(玄) ---- ---- 「釈帝石」「長楽寺の鈴」「最乗寺の金印」「比叡山祇園石」の4話を紹介 ----
13 第2編第4号 1897.7 新聞 化石の弟 ---- 読売新聞 明治初期の流行仏「化石さま」は間部大作という旗本が幌内から持ち帰った奇石の一片 ----
14 第2編第5号 1897.11 骨董 御難有の鏡 ---- ---- 日光を反射させると南無阿弥陀仏の6字を映す円鏡 ----
15 第2編第5号 1897.11 骨董 文福茶釜 東京 石谷清明 投稿(前半) 茂林寺所蔵の文福茶釜の図と報告 後半は編者コメント+十返舎一九作の落語の引用
16 第2編第5号 1897.11 雑録 日本名物不思議骨董集(黄) ---- ---- 「頬焼地蔵」「吉備津宮の釜」「音響を発する恵比寿大黒」の3話を紹介 ----
17 第2編第5号 1897.11 新聞 黄金仏石岩礁より出現す ---- ---- 山口県の漁夫が純金の観音像を岩の中から発見 引用元の新聞名の記載なし
18 第3編第1号 1898.6 半狂堂随筆 七不思議と八景 ---- ---- 次号記事の予告文 ----
19 第3編第2号 1898.7 骨董 奇鏡の正体 ---- 投稿(部分) 長田茂作氏が第2編第5号「御難有の鏡」の記事に対し科学的見解を寄せる 投稿の紹介
20 第3編第2号 1898.7 半狂堂随筆 日本全国七不思議集(二) 松風舎蒼龍、越後 内藤彌 投稿 「肥後成道寺の七不思議」(松風舎蒼龍)、「甲斐早川の七不思議」(越後 内藤彌)の投稿 (二)とあるが連載の第1回
21 第3編第3号 1898.8 半狂堂随筆 日本全国七不思議集 越後 内藤彌 投稿(前半) 「甲斐早川の七不思議 続」(内藤彌)、「大阪天満の七不思議」(『商業資料』)、「土佐蹉跎山の七不思議」(『諸国里人談』) 前号に続く連載第2回


 当然のことながら、すべて何らかの骨董品――「もの」にまつわる話である。
 それらの多くは新聞記事の再録だったり有名な逸話の紹介だったりであまり目新しい話はない。しかし、「日本名物不思議骨董集」「日本全国七不思議集」といった枠が設けられ、骨董に関連した不思議な話が積極的に取り上げられている。これらの枠が号を跨ぎ数回にわたって続いていることから、単なる骨董品の紹介や考証だけでなく、こういった「不思議な話」が当時の外骨自身あるいは読者層の関心事のひとつにあったことが伺える。


 「日本不思議骨董集(天)」には以下のような序文が添えられている。

世に不思議なしとすれば不思議なるもの絶えて無く又不思議ありとすれば天下何物か不思議ならざらんや有も不思議無も不思議なり、今日業々しく妖怪学などといへる名目を付し俗物をあやなして講義料を〆込む山師哲学者の世に時めくも亦是れ一種の不思議といへば不思議なりなどと理窟を言ふ人もあらんかなれども茲に古来我国に於て不思議とする事の多き中より骨董物に関係の奇聞怪談、其事の真偽を問はず伝説の儘を集録すれば左の如し*4

 井上円了の妖怪学を意識しつつ、日本に古来から伝わる奇聞・怪談の中から骨董品に関するものを、その真偽を問わず集録することが述べられている。

 「日本不思議骨董集」では、文献に従って各地の伝説を紹介している。出てくる伝説は名前と伝承地のみが挙げられているものと内容も含めて紹介されているものとがある。同欄は天・地・玄・黄の全4回続いたが、各回の記事ではどのような伝説が取り上げられていたのか。順に抜き出してみる。


 「日本名物不思議骨董集(天)」(第2編第1号)では、「霧島山の天之逆鉾」(日向)、「大峰の鐘」(紀伊)、「佐用中山の夜泣石」(遠江)、「無間の鐘」(遠江)、「領巾磨嶺の望夫石」(肥前)、「三幹の鐘」(筑前)…などの34タイトルが挙げられている*5。このうち内容と出典が紹介されているものが、「瑞岩寺の翁面」(『松島図誌』、『松島案内記』)、「望夫石」(『大日本史』、『神異経』)、「剱権現の剱」(『讃岐廻遊記』)、「無間の鐘」(『諸国里人談』)の4話である。

 「日本名物不思議骨董集(地)」(第2編第2号)では、前回の未収録分として「南都総持院の書使地蔵」(大和)、「釈帝石」(日向)、「小田原宿最乗寺の金印」(相模)、「木葉石」(肥前)…などの13タイトルが挙げられている*6。そして前回に引き続き内容と出典が紹介されているものが、「苔野ヶ淵の沓石」(『新著聞集』)、「大峰の鐘」(『諸国里人談』)、「総持院の書使地蔵」(『袖鏡』)、「泉州の瓶」(『鹿島日記』、『総常日記』、『諸国里人談』、『利根川図志』)「浅草寺の絵馬」(『桂林漫録』)の5話である。

 名前だけの列記は「地」までで、「日本名物不思議骨董集(玄)」(第2編第4号)では、「釈帝石」(『新著聞集』)、「長楽寺の鈴」(『諸国里人談』)、「最乗寺の金印」(『諸国里人談』)、「比叡山祇園石」(『御山のしをり』)の4話が、「日本名物不思議骨董集(黄)」(第2編第5号)では、「頬焼地蔵」(『摂津名所図会』)、「吉備津宮の釜」(『諸国里人談』)、「音響を発する恵比寿大黒」(「木原通徳君*7新聞切抜投書」)の3話が紹介されている。

 ほとんどが近世以前の説話集や地理書、日記等に拠っているのが分かる。とくに『諸国里人談』が頻繁に登場するのは外骨の思い入れなのか、あるいは単にカタログ的に便利だったからか。
 この連載枠の性格は、「日本全国七不思議集」でも基本的に同じである。


 他の記事に目を向けると、「日本名物不思議骨董集」「日本全国七不思議集」が全国の名所と結びついたよく知られた伝説を取り扱ったのに対し、「新聞」欄では、同時代の人々が見聞き体験した個々の「もの」の話が引用される。「骨董」欄の「皿屋敷の皿」の記事は、おそらくは図らずして複数地域における皿屋敷説話の事例収集になっており、「異説」「再異説」が提出されて結局3回続いている。また、「骨董物語 夜光玉、魚住水晶、軽重石」(『北窓瑣談』からの引用)や「奇鏡の正体」のように、奇談を科学的合理的に解釈しようとする記事も見られる。

 上のリストには挙げなかったが、狂歌師・4世絵馬屋額輔から外骨に贈られた「髑髏石」の話(第3号)や、浮世絵師・歌川芳秀(記事では“小磯前雪窓”名義)所蔵の「天狗の爪石」の紹介(第2編第2号)なども、妖怪趣味的関心をそそるだけでなく、宮武外骨と当時の文化人の骨董を介した交流を伝えているという意味でも興味深い記事である。


 『骨董雑誌』は明治31年(1898)8月の第3編第3号を以て終刊、後続誌として明治32年(1899)1月に『骨董協会雑誌』が刊行される。
 『骨董協会雑誌』では著名人の論考や実証的な記事がメインになり、怪談的な記事は後退する。「本願寺の七不思議」の記事(第3号)等、そういった傾向の記事が全くないわけではないが、煩雑になるのを避けて今回は割愛させていただく。


 『骨董協会雑誌』自体は第4号までしか続かず、廃刊。事実上の打ち切りであった。広告費や印刷料等およそ4000円余りの赤字を出し、外骨は台湾へ逃亡することになる*8

*1:『骨董雑誌』第1号、骨董雑誌社、1896年11月、13頁

*2:前掲書、11頁

*3:吉野孝雄宮武外骨 民権へのこだわり』、吉川弘文館、2000年、53頁

*4:「日本名物不思議骨董集(天)」『骨董雑誌』第2編第1号、1897年4月、28頁

*5:「日本名物不思議骨董集(天)」で挙げられているのは以下の34タイトル。「霧島山の天之逆鉾」(日向)、「大峰の鐘」(紀伊)、「佐用中山の夜泣石」(遠江)、「無間の鐘」(遠江)、「領巾磨嶺の望夫石」(肥前)、「三幹の鐘」(筑前)、「熊本城清正の木造」(肥後)、「尾上の鐘」(播磨)、「眼目山の山燈籠燈」(越中)、「寿命貝」(筑前)、「三井寺の龍宮の鐘」(近江)、「鸚鵡石」(伊勢)、「松島瑞岩寺の翁面」(陸前)、「幽霊太鼓」(長門)、「栄螺ヶ嶽の言葉石」(越前)、「頬焼地蔵」(武蔵)、「那須殺生石」(下野)、「鹿島の要石」(常陸)、「千住濡ずの石塔」(武蔵)、「宗像翁の面」(筑前)、「名古屋の三ッ瓶」(尾張)、「高知の潮石」(土佐)、「浅草観音の絵馬」(武蔵)、「剱権現の剱」(讃岐)、「苔野ヶ淵の沓石」(磐城)、「血付の石塔」(武蔵)、「犬戸の龍の面」(下総)、「知恩院の傘」(山城)、「善光寺の龍燈」(信濃)、「大野の化石」(越前)、「塩竈の神代釜」(陸前)、「日光の牛石」(下野)、「鹿島の生州瓶」(常陸)、「鐘ヶ淵の鐘」(武蔵)。

*6:「日本名物不思議骨董集(地)」で挙げられているのは以下の13タイトル。「南都総持院の書使地蔵」(大和)、「釈帝石」(日向)、「小田原宿最乗寺の金印」(相模)、「木葉石」(肥前)、「加部福王寺の細石」(安芸)、「吉備津の釜」(備中)、「立山国見坂の姥石」(越中)、「林寺の蛙石」(摂津)、「比叡山祇園石」(山城)、「下谷の化寺蔵」(武蔵)、「新田長楽寺の鈴」(上野)、「天叢雲の宝剣」、「大村の五色海石」(肥前)。

*7:『骨董雑誌』『骨董協会雑誌』にたびたび名前が登場する木原通徳は愛媛の実業家であり美術愛好家である。当時の木原は『御国之光』(1898年)、『日本美術絵画之沿革』(1900年)と日本の美術工芸に関する著書を相次いで刊行しており、『骨董雑誌』第3編第3号には『御国之光』刊行を好意的に評価する時報が掲載されている。また、『骨董協会雑誌』第4号においては愛媛県下で実施された臨時全国宝物調査のようすを報告したりしている。

*8:吉野、前掲書、54頁