伊東忠太「幽霊」(「今昔小話」より)

 Twitterなど見てると世にはさまざまなジャンル・レベルで妖怪に関心のある人々がいるものだなあとあらためて思ったりする。
 妖怪好き界隈においては妖怪建築家として知られる伊東忠太(1867‐1954)には「妖怪研究」という文章があり、青空文庫でも読める。 >伊東忠太 妖怪研究 - 青空文庫
 忠太には随筆に「今昔小話」という全60回ほどに渡るシリーズがあり、毎回、「雷」「五重塔」「仏像」「僧」などさまざまなお題を取り上げている。その中に幽霊について述べたエッセイも残っている。一回の文章自体はそんなに長いものではないので「幽霊」をテーマにした回だけ以下に引用してみる。
 

「幽霊」
 世に所謂幽霊とは死者の魂が生前の姿で現はれたものゝ謂であるが、それが実在のものではなくして、錯覚又は幻覚であることは勿論である。此の錯覚又は幻覚の原因はこれを見る人の心に何か疚しい事があるか、或は死者に対して怨を受けるやうな後暗い事があるか、将た又これに対して忍び難い愛着の念が残るか、兎に角心の煩悶から起るのであるが、或は臆病な慌て者が喜劇的錯覚に由つて幽霊を見ることもある。
 幽霊は、兎に角淋しい陰気なものであるは当然であるが、其の形式表情は千差万別である。人を虐待した者の見る被差別者の幽霊は物凄くまた恐ろしいが、恋女房を失つた者の見る亡婦の幽霊は懐かしいのであらう。古来世に幽霊の有無が話題になつて居るが、予は有ると断言する。それは人に必然錯覚が有るからである。併しそれは丁度夢と同じやうなもので実在のものでない事は勿論であるが、実在を確信して居る人も稀に有り、現に其の実在を証明すべく努力して居る連中もある。曾つて外国の或る雑誌に幽霊の写真なるものを麗々しく掲げたものもあつた。
 幽霊の形式は古今東西互に相違なる。西洋の幽霊は多くを知らぬが、大体生前の姿其の儘であるやうに思ふ。支那の幽霊は即ち鬼であるが、これも生前の姿と大差は無いやうである。然るに日本の幽霊に限つて必ず足が無いのは流石に趣味が悪い。予も一度幽霊を見たことがあるが、それは自ら求めて強ひて幻覚を起して見たのであるが、美事に成功したのである。
 今は昔明治十八年頃、郷里米沢に帰省するとて、長い夏の一日の漸く暮に迫る頃、只だ独り人力車にゆられつゝ物淋しい那須野の原にさしかゝつた(当時黒磯以北に鉄道がなかつた)。見渡す限り草茫々たる原野で、左手に那須の連峰が淡く見える外には視界を遮るものもない。予は車上に那須野ヶ原殺生石玉藻前、金毛九尾の狐、それからそれと連想に耽りつゝ、夕風に戦ぐ尾花を見て『幽霊の正体見たり枯尾花』と云ふが、実にもあの姿の幽霊に似たることよ、いかでも我も尾花を幽霊と見得ぬものかはとて、精神を籠めて乱れそよぐ尾花をやゝ暫く見詰めて行くうちに、尾花は忽然として変じて長き黒髪をふり乱した白衣の幽霊となつた。しすましたりと思ふ間もなく、忽ちにしてまたもとの尾花となつた。前を見れば不思議や幾つかの髑髏が路面に転がつて居る。はて何物ぞとよく見れば、それは磊々たる石塊であつた。横手の低い丘の断崖には悪鬼に似たる醜怪の化物が、耳まで裂けた巨口を開いて、血に染められた舌を吐いて居る。眼をみはつて凝視すれば、これは丘腹に重なり合つて露出した突ごつたる巌石であつた。兎角する内に日は全く暮れて、淋しさはひし/\と身に沁むやうである。しきりにこぼす車夫を激励して闇路を辿り、更けて漸く白河駅に着き、逆旅の一室に入るとき始めて背後に冷たい手があつて、私の襟元を掴んで引き戻さんとするかの如き感を覚えたので、思はずゾッとしたのである。若しも当夜発熱でもしたならば、それは夜風の為めに風邪に罹つたのであつても、幽霊や化物の祟りと解せられたのであらう。
 私は以来幽霊や化物に就いて多大の興味を感じ、研究と云ふ程でもないが若干考察を進めて今日に及んで来た。其の後も幽霊や化物を見度いと思ひ、いろ/\工夫して見たが、残念ながら未だ成功せず、只だ数回夢に見た丈けである。総じて化物を幻覚することは比較的容易であるが、幽霊は非常に六ヶ敷いものである。

底本:伊東忠太 著/伊藤忠太建築文献編纂委員会 編『伊東忠太建築文献(第6巻 論叢・随想・漫筆)』,龍吟社,昭和12年(1937)1月31日初版発行,p.445-447


 前半では幽霊とは何かということが述べられているが、後半に忠太が幽霊や化物を探求するようになったきっかけのひとつが見えるのは面白い。
 幽霊が人間の錯覚・幻覚であることを強調した上で、何とかして幽霊が見れないものかと工夫している。果ては自ら幻視を試みる。
 というか、那須高原に行った車上で「殺生石玉藻前、金毛九尾の狐、それからそれと連想に耽り」ながら、自分も幽霊を見てみたいものだと思案するさまは、現代の妖怪マニアのスタンスとほとんど変わらないように思える。
 
 今昔おばけずきここにありと言ったところか。