【妖怪メモ】石川県の郷土誌に見られる妖怪まとめ(1)

 とりあえず、石川県の郷土誌に見られる妖怪話で、目についたもの、面白そうなもののうち、一般的な妖怪事典・妖怪図鑑やネット検索にあまり引っかからないものを中心にをざっくりと抜き書きしたいくつかを順次ここに上げていこうと思う。深く掘り下げたり、各記述の妥当性を検証したりということはあまりしていないが(していないというか、この分野の作業・作法については素人なので、できない)、ネット検索で出てくる範囲の最低限の関連事項はなるべくメモとして記載した。専門的・悉皆的に先行研究を渉猟したわけではないのであくまで把握できた範囲で。話のセレクトはブログ主の好みによる。
※地域欄の自治体名は2015年現在の表記と区分を採用しているが個人で確認できた範囲なので正確性について疑問符の付くものもあるかもしれない。
※掲載順は引用文献の発行年、ついで頁順による。
※引用文中の原文にある旧字体は適宜新字体にあらためたが、かなづかい等はそのままとした。
※引用文中には今日の人権意識に照らして不適切と思われる語句や表現が含まれているが、当時の時代背景や資料的価値を鑑みそのままとした。
※各項目の「地域」の表示は、あくまでそれぞれの話の舞台となっている地域を指し、必ずしもそれらの採集地を保証するものではない。


ちなみに、今回引用した郷土誌のうち『石川県河北郡誌』、『石川県江沼郡誌』、『石川県能美郡誌』、『石川県鹿島郡誌』は近代デジタルライブラリーでインターネット上で閲覧できる。もし興味のある向きは各自参照されたい。


凡例:■妖怪名 | よみ | 伝承地域

■蕪太郎兵衛 | かぶたろうべえ | 地域:石川県金沢市木越

 字木越に藤右衛門及び長四郎の二旧家あり。共に藩の重用する所となり、藩主の此地に放鷹するや必ず其家を以て休憩所に当て、貢米の際には立会を為せりといふ。この部落はもと井水に乏しかりければ藩賜ふに鉄棒を以てし、以て之を掘削せしむ。鉄棒の一部今尚存せり。藤右衛門は一に之を蕪太郎兵衛と呼べり。嘗て検地の際、太郎兵衛夜間其境界線を変更して地積を変更す。今尚細雨霏々たる時、太郎兵衛の亡魂は其付近に彷徨して之を守ると伝ふ。
河北郡編『石川県河北郡誌』、石川県河北郡1920年、509頁)

 土地へ執着し死後もなおさまよう旧家の当主の霊の話。名前の読み方は原文にとくに記載がないため推測による。「字木越に藤右衛門及び長四郎の二旧家あり」という記述に関して、該当地域(河北潟周辺)では同じ「藤右衛門」という名の木屋(木谷)藤右衛門家の存在がよく知られる*1。木屋藤右衛門(きやとうえもん)は加賀藩の豪商。木屋家は近世初頭に西国から現在の石川県金沢市粟崎に来住したとされ北前船の廻船業や材木取引で財をなした。当主は代々藤右衛門を襲名し、とくに享保から寛政期の4〜6代目の時代に豪商として知られるようになったという。天明期には扶持高80石、所有渡廻船30数隻を数え、藩から名字帯刀を許された。木屋は屋号で名字は木谷(きたに)といったらしい*2。...と、ここまで書いてきたが蕪太郎兵衛の話と木屋藤右衛門とに直接の関係があるかどうかは不明である。



■カイラゲ | かいらげ |  地域:石川県輪島市門前町樽見

 昔樽見なり刑部の主人、村落の下方海岸に出で飛石を渉りて海中の巨岩に達し、魚を釣りて家に帰らんとしたるに、先の飛石を見ず。遂に如何ともする能はずして悶死したりといふ、土人之を刑部岩と名づけ、以て往時を偲ぶ。彼の飛石の如く見えたるはカイラゲといふ怪物がその脊を並べゐたるものなりと。
(石川県七浦小学校同窓会編『七浦村志』、細川敬文社、1920年、142〜143頁)

 巨大すぎて全体が見えないことが話の特徴となっているパターン。海面に出た巨大な怪物の一部分を陸地に誤認する話は、竹原春泉『絵本百物語』の「赤ゑいの魚」*3などが現在ポピュラーなものとして挙げられるが、岡田挺之『秉穂録』第一編巻之下にも巨物に関する数話があり、「安房勝山の浦にて、海上に小嶋あらはれたり。数日の後、口をひらきたるを見れば、大なる鰒(あわび)なり。やがて沈みて見えず」*4とある。また、脇哲『新北海道伝説考』(1984年)によれば、北海道の海上に鯨を呑む巨大魚ヲキナが現れるという風聞があり、板倉源次郎『北海随筆』、橘南谿『東遊記』、松前広長『北藩志』、同『松前志』、林子平『三国通覧図説』、串原正峯『夷諺俗話』、三保喜左衛門『唐太話』などの近世の随筆や地誌にその名が見えるという。ヲキナの全体像を見た者はなく、「まれに浮びたる時見れば、大なる島三つ出来たるごとくなるは、背のひれなるべし」(『北海随筆』)、「其の形を顕はすときは、忽然として大山の突出せるが如く、日を経て退かず、時に風波の動揺すること夥し」(『松前志』)、「只稀ニ浮ビ出タルトキ背ト鰭トヲ見ノミ也。其背ノ大ナルコト島山ノ如シト云ヘリ」(『三国通覧図説』)などと伝えられる*5。これら他の巨大生物の話に比べるとカイラゲのスケールは幾分か小さい。なお、引用箇所原文のタイトルは「刑部岩」で、名所旧跡を紹介する意図の記事である。



■うたい刀*6 | うたいがたな |  地域:石川県輪島市門前町小杉

 小杉なる上杉家に伝来の宝刀あり。その鐔に鶏の彫刻ありしが、一夜忽然として暁を報ぜり。家人之を以て不吉なりとて宝刀を放棄したりといふ。
(石川県七浦小学校同窓会編『七浦村志』、細川敬文社、1920年、145頁)

 鍔の鶏の彫り物が鳴いたという話は全国各地にいくつかあるようで、怪異・妖怪伝承データベースには「大きなおばけ」という香川県大川町の事例が登録されている。
  ⇒"大きなおばけ | オオキナオバケ | 怪異・妖怪伝承データベース"
 横井希純『阿洲奇事雑話』には次のような話がある。――ある侍が猫斬りに猫岳に登った。侍は真夜中になって次々に現れる無数の猫を相手に力尽きかけるが、そのとき鶏が鳴く声が聞こえ、猫たちは夜が明けたと思い退散する。侍の刀の鍔に彫られた鶏が主人の危急を救うべく鳴いたのであった*7
 また、ネット上で読めるものとして『信濃町の民話』にも類話が見える*8
 加えて、伝承地域は不明ながら類話が全日本刀匠会公式HPのWebコラムでも紹介されている。
  ⇒"全日本刀匠会 連載読み物「立石おじさんの刀にまつわる話」第24回"
 上記のいくつかの事例のように、鍔の鶏の彫り物が鳴く話では持ち主を化け物から救う「鶏の報恩」譚に類型される場合が多く、「うたい刀」のように不吉だから放棄したという話はどちらかというとめずらしい部類か。



■筒井ドン | つついどん |  地域:石川県輪島市門前町大滝

 字大滝の近郊に一狐穴あり。今辛うじてその跡を認め得るに過ぎざれども、昔は一老狐のこゝに棲息するあり、皆月オリヤ様の妻にして、人之を筒井どんと称したりといふ。
(石川県七浦小学校同窓会編『七浦村志』、細川敬文社、1920年、148頁)

 夫婦狐の話。下記の「オリヤ様」と並行あるいはこれに付随する話と考えられる。



■オリヤ様 | おりやさま |  地域:石川県輪島市門前町皆月

 皆月の西北方オリヤに一大岩窟あり。往古老狐之に棲み、村民にして家具を有せざる者、此処に至りてその借用を請ふ時は、明朝必ず之を洞口に得たり。依りて土人オリヤ様と称して尊敬したりといふ。後ち一農夫あり、又家具を借用したりしが、之を返却する際其一を紛失したりしかば、爾後決して何人の以来にも応ぜざるに至りきといふ。オリヤ様は又皆月築港のことに深く意を用ふる所ありしが、或時本願寺参詣の為に上洛し、帰途山中に午睡の夢を貪りしに、悪狼の害する所となり、為に築港の企図を果さざりきといふ。
(石川県七浦小学校同窓会編『七浦村志』、細川敬文社、1920年、152〜153頁)

 いわゆる椀貸し伝説に分類される話。オリヤ様については、詳しい研究として川村清志「椀貸し伝説再考――近代における伝説の生成と受容」(1997年)があり、ネット上で公開されているものを読むことができるのでそちらを参照されたい*9
 また、怪異・妖怪伝承データベースに2件の登録がある。
  ⇒"オリヤ様,狐 | オリヤサマ,キツネ | 怪異・妖怪伝承データベース"
  ⇒"オリヤ様,狐 | オリヤサマ,キツネ | 怪異・妖怪伝承データベース"
 加えて、前掲の川村論文によれば七浦民俗誌編纂会編『七浦民俗誌』(1996年)にもオリヤ様に関するいくつかの事例報告があるとのことだが、未読。



■八階松の怪 | はっかいまつのかい |  地域:石川県輪島市中段町長口

 皆月の北方、オサガクチに八階松と称する一老松あり。その上に金色の小蛇棲み、時々樹梢より神酒徳利或は茶釜を垂下することありといふ。人之を恐れて敢て近づかず。
(石川県七浦小学校同窓会編『七浦村志』、細川敬文社、1920年、153頁)

 垂下の怪の一種。長口(おさがぐち)は輪島市中心部、石川県輪島漆芸美術館にほど近い中段町にある地名。「皆月の北方」というにはいさかか距離があるようにも思われるが...。



木瓜の尾花、手長の尾白 | ぼけのおばな、てながのおじろ |  地域:石川県小松市庄町

 字加茂俗称木瓜(ボケ)及び手長(テナガ)の地には、古来木瓜の尾花、手長の尾白と称する老狐ありて、昼夜出没し、時々通行人を誑せりとの怪談多かりしが、近時は全く之を説くものなきに至れり。
(江沼郡編『石川県江沼郡誌』、石川県江沼郡役所、1923年、887頁)

 上記「オリヤ様」&「筒井ドン」と同じく夫婦狐の話だが、どのような「誑かし」をしたのか等の詳細はわからない。というか(『石川県江沼郡誌』が刊行された大正期の時点において)もはや話の詳細が分からなくなってしまったということ自体が話の内容になっている事例か。狐の身体的特徴がその名前になっているパターンのひとつ。



■梅雨蛇 | つゆへび | 地域:石川県加賀市山中温泉

 字四十九院を去る約十町の道路に面したる山林中に在る、高さ十尺周り六間許の岩石の中央に割れ目あり。毎年梅雨の頃一二回、蛇の脊部を此の欠隙に露出することあり。若し之に觸るゝ事あらば大暴風雨ありと伝ふ。
〔江沼志稿〕 *10
 四十九院。欠岩と云所有、村より十四五町奥也、年毎に梅雨の比、岩ひたへに蛇出ると、土俗梅雨蛇と云。
(江沼郡編『石川県江沼郡誌』、石川県江沼郡役所、1923年、970〜971頁)

 梅雨の間だけ岩肌に現われる蛇に関して、小島瓔礼『蛇の宇宙誌 蛇をめぐる民俗自然誌』(1991年)によれば、広島県北部から島根県西部にかけて「ツユザエモン」と呼ばれる蛇の言い伝えがある。斐伊川近郊ではツユジン、出雲の能義郡(現島根県安来市)ではツユザイと称する。ツユザエモンは、普段は岩肌の割れ目などに姿を隠しているが、梅雨の間だけ胴体を現すという。最初は蛇の頸部のみ、次は胴部のみ、最後は尾部のみと露出する部分が時期により変化するが頭と尾の先は見せない*11
 怪異・妖怪伝承データベースには島根県飯石郡の「ツユジンさん」の事例が登録されている。
  ⇒"サンバイさん,ツユジンさん | サンバイサン,ツユジンサン | 怪異・妖怪伝承データベース"
 また、露出部分の変化についての言及はないが、「ツユザエモン」、「ツユジン」の登録事例もある。
  ⇒"田の水口,田の神,ツユザエモン | タノミナクチ,タノカミ,ツユザエモン | 怪異・妖怪伝承データベース"
  ⇒"ツユ神 | ツユジン | 怪異・妖怪伝承データベース"
  ⇒"ツユ神 | ツユジン | 怪異・妖怪伝承データベース"
 石川県の梅雨蛇と中国地方のツユザエモンとの関連、もしくは他地方に同様の話がどの程度あるのかについてはわからない。



■神主様河道 | かんぬしさまかどう? |  地域:石川県小松市安宅町

 神主様河道とは、海岸一部の地名なり、其沖に一個の釜の沈没せるものありといふ、往昔浦人の妻某、性頗る懶惰にして釜底を磨くことなく、煤煙付着して屑を為せり、一日舅姑に迫られ、已むを得ず河岸に至りて之を洗はんとせしが、隅々春日遅々たりしかば、釜を擲ち叢間に午睡を貪れり、是に於て釜は怒りて自ら水底に入り、遂に死して妖神となる、其後時に或は奇音を発して遊泳の小児を驚かし、甚だしきに至りては之を捉へて溺死せしむることありといふ、
(石川県能美郡役所編『石川県能美郡誌』、石川県能美郡役所、1923年、747頁)

 これも読み方はよくわからなかった。テレビ番組『まんが日本昔ばなし』等において「釜妖神(かまようじん)」の名で知られる話の出典。「まんが日本昔ばなし〜データベース〜」によれば、番組では清酒時男『日本の民話21 加賀・能登の民話 第一集』(未来社、1959年)を出典としており、この本での話のタイトルが「釜妖神」となっている*12 *13。また、前掲書を再編増補したと思われる同じく未来社清酒時男ほか編『日本の民話12 加賀・能登・若狭・越前篇』(1974年)においても同題である*14。しかし、「釜妖神」というタイトルは未来社の書籍収録時に新たに付けられたものである。引用した通り、上記の両書籍が出典としている『石川県能美郡誌』(1923年)における話のタイトルは「神主様河道」であり、怪異の起こる場所の地名から採られている。『石川県能美郡誌』の記事中にも「釜妖神」という固有名が出てくるわけではなく、「釜妖神」とは「遂に死して妖神となる」という一文から『加賀・能登の民話』収録時に考え出された呼び名であるようだ。付記すれば、『加賀・能登の民話』においてもタイトルこそ「釜妖神」となっているものの本文中では「釜は川の妖神になった」「(...)妖神になった釜の方では」とあり、これが固有名詞として登場する箇所はない。ちなみに、『安宅誌』(1933年)にも同内容の話があるが、「北村家裏手の沿岸で、その河中に釜一個沈んでゐるとの伝説がある。昔、浦人の妻某甚だ懶惰で釜底を磨くことがなく、いつも煤だらけになつてゐた。或日姑に迫られて仕方なしに河岸に行つたが、春の日の永の長閑けさに、うと/\と居睡をして洗はうとしなかつた。釜は怒つて水底に沈み、其処の妖主となり、時々奇音を出して水泳の子供を驚かしたり、溺死させたりするといふ」*15とあり、「妖神」ではなく「妖主」という呼び方になっている(もし『加賀・能登の民話』が『安宅誌』のほうを直接の出典としていたら「まんが日本昔ばなし」でのタイトルは「釜妖主」になっていた可能性もあったのかもしれない...)。より有力なメディアが何を出典としたかによってその後の巷間での呼び名が変わってしまう事例といえるだろうか(まあ、「釜妖神」自体あまりメジャーとはいえないかもしれないが...)。奇音を発し泳ぐ子供を溺死させるというところは水神や河童っぽくもあり、むしろ怠惰な妻が釜を云々の下りは後付けなのかもしれない。



■小四郎火 | こしろうび |  地域:石川県能美郡川北町木呂場

 木呂場の北方に当り、明治初年に至るまで小四郎松と称するありて、落武者のこゝに戦死せる所なりと伝へ、天曇り、雨近き夜など霊火の現はるゝありき、方人之を称して小四郎火といへり、
(石川県能美郡役所編『石川県能美郡誌』、石川県能美郡役所、1923年、1585頁)

 怪火の一種。引用文中に登場する「落武者」の名前は明記されていないが、彼が死んだ(とされる)場所にある松が「小四郎松」と呼ばれていたというのだからおそらく「小四郎」がその名前と考えてよいだろう。「小右衛門火」(『御伽厚化粧』)、「権五郎火」(外山歴郎『越後三條南郷談』ほか)、「八十松火」(『静岡県伝説昔話集』)などのように、名称が{(恨みを残して死んだ人物の)人名+火}になっているパターンか。



■弥三平狐 | やそべい(やそべ?)ぎつね |  地域:石川県七尾市

 石崎寺山の東堂ヶ谷といふ所に昔老孤棲み居たりしが村へ狐の穴に至り家具の借入を頼み置き、後刻更に穴に至りて見ると頼みし家具の数を揃へて穴の口に出し在りしといふ。
鹿島郡自治会編『石川県鹿島郡誌』、鹿島郡自治会、1928年、942頁)

 不詳。椀貸し伝説の一種。「石崎寺山の東堂ヶ谷」という地名も地図で見た限りでは現在のどこに該当するのかよくわからない。七尾市に石崎山という地名があるがその辺りだろうか。



■タンガイ様 | たんがいさま |  地域:石川県七尾市能登島長崎町

 野崎の田んぼの中に、ありゃ八幡さんがあった所で、今、まん中に杉の木が一本あって、宮跡て名で、その田んぼに、タンガイ様て貝がおって、その貝をひろとったもんで、それから出る水を目につけるとよお効くゆう話を聞いて、ほうぼうから来たもんで、ほれで、あるうちのおばあさんが、ほんなら水つけてさえ治おるもんを、これ焼いて食べたら、なお効くやろゆうて、ほして(そうして)食べたところが、目くらんなったてゆうことや。
能登島町史専門委員会編『能登島町史 資料編第二巻』、能登島役場、1983年、989頁)

 『日本方言大辞典』(1989年)によれば、「タンガイ」は「タガイ」(田貝)の意で、貝、とくにからすがいを指す方言であることが『重訂本草綱目啓蒙』(1847年)にみえる*16
 「タンガイ様」で検索するとテレビ金沢が現地取材をした2008年の記事が出てくる。
  ⇒"誉のドコ行く?―となりのテレ金ちゃん"



■大坪の化物 | おおつぼのばけもの |  地域:石川県白山市成町

 成には大坪の火葬場があり、その川沿いの道路には傘をさした女性が現れたという。小雨の降る暗い夜道を真夜中で一人で歩いているときに女性に会うのは、男でも何となく気味悪く感じ、思わず「誰や」とか「今晩は」とか声をかけてしまう。昔の人は自分のことを私と言わず「うらや」と返事したものであるが、化物は人と同じく「うらや」とはいえず「うなや」と返事したという。
(『出城のれきし』編纂委員会編『出城のれきし』、出城地区連絡協議会 / 出城地区町内会長会 / 出城公民館、1994年、969頁)

 夜道で声をかけた時の返答で相手が化物かどうかを識別する話は全国にある。よく引用されるところでは、柳田国男『妖怪談義』に石川県加賀地方のガメと能登地方のカワウソの例が出ている。「加賀の小松附近では、ガメという水中の怪物が、時々小童に化けて出ることがある。誰だと声をかけてウワヤと返事をするのは、きっとそのガメであって、足音もくしゃくしゃと聞えるという。能登でも河獺は二十歳前後の娘や、碁盤縞の着物を着た子供に化けて来る。誰だと声かけて人ならばオラヤと答えるが、アラヤと答えるのは彼奴である。またおまえはどこのもんじゃと訊くと、どういう意味でかカハイと答えるとも謂う」(柳田国男「妖怪談義」)*17



■六尺坊主 | ろくしゃくぼうず |  地域:石川県白山市上柏野町

 山島用水の下流、長島と剣崎の境界から上柏野地内に入ったところに、「松原河原」「大島」と呼ぶ地名の個所がある。大正前期までは荒地で小山があり、樹木が生い繁り昼でも暗く、村人は寄りつかず、ケモノ(獣)たちの格好の住む場所だったと。村の地主は奉公人に給与がわりに「新外田」のたんぼを何枚かずつ与えたそうな。もらった奉公人たちは、昼は主人の家の仕事に、夜は「新外田」を一所懸命にたがやし、小遣いかせぎに汗を流していたそうな。
 ある日のこと、田をたがやすことに夢中になり、真夜中になってしまい、なにかの気配で、ふと頭をあげると、目の前に六尺坊主があらわれてじっと奉公人を見ていたがや。腰をぬかさんばかりにびっくりした奉公人は、「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と唱えながら念仏していると、いつのまにやら、この六尺坊主は霧のように消えていなくたったがや。奉公人は、いまのうちに帰らんなんと農具を捨てて家に逃げ帰り、翌朝までふとんの中でふるえておったというはなしや。
(加賀松任柏野郷土史編纂委員会編 / 山根公監修『加賀松任 柏野郷土史』、松任市立柏野公民館、1995年、685〜686頁)

 怪異・妖怪伝承データベースに、石川県石川郡河内村(現同県白山市河内町)の同名事例がある。
  ⇒"六尺坊主 | ロクシャクボウズ | 怪異・妖怪伝承データベース"
 また、カワウソが六尺坊主に化けるとされる富山県の事例も登録されている。
  ⇒"かわうそ | カワウソ | 怪異・妖怪伝承データベース"
 怪異・妖怪伝承データベースに登録されている事例のみを見ると、六尺坊主は坂に現れる妖怪であるとも受け取れるが、『加賀松任 柏野郷土史』では畑で遭遇しており、場所や地形はあまり重要な条件ではないようだ。むしろ怪異・妖怪伝承データベースの事例と合わせて考えると、「六尺坊主」という呼び名があまり前提なく当たり前のものとして扱われている感がある。長さの単位でいうと六尺はちょうど一間(約1.1818m)に当たり区切りのよい長さとして用いられていたと思われ、“六尺坊主”という呼称も“一間程度の大きさの化け物”を意味する通称の類だったのかもしれない。また、近世において人夫や小間物の行商人を指して「六尺」とも称したというが何か関連があるかどうかはわからない。



■天刹 | てんさつ |  地域:石川県金沢市橋場町

 金沢における古い神社として知られる浅野川神社(橋場町)に、白狐が書いたという「稲荷大明神」という神号があり、これには「天刹(てんさつ)」という署名がある。文化五年(一八〇八)に楠部屋芸台(くすべやうんだい)が執筆した由来書によれば、この天刹なる者は越中立山で千年の行を積んだ白狐だったという。金沢城下に現れて吉凶・禍福等の予知をはじめ不可思議な行動で人びとを驚かしていたが、人間世界から離れる時が到来して姿を消した。その前、懇意にしていた嶋屋喜右衛門の切望によって神号を書き与えた。後年、その神号を上堤町の浅野屋次兵衛が譲りうけたという由来があった。堀麦水(天明三年〔一七八三〕没)の『三州奇談』にも類似の伝説が見えるが、この神号に関する伝承はない。神号を譲りうけた浅野屋次兵衛はこれを秘蔵し、おそらく信仰の対象に仰いで奉斎したと思われる。子孫が守護しきれなくなって浅野川神社に奉納したのであろう。〔後略〕
金沢市史編さん委員会編『金沢市史 資料編14 民俗』、金沢市、2001年、378頁)

 引用した『金沢市史』の該当頁には浅野川神社に今も残るという「天刹」署名の実物の写真が掲載されている。引用文中にもあるように『三州奇談』巻之四「浅野稲荷」も参照*18(『三州奇談』のこの話については柳田国男「熊谷惣左衛門の話」でも紹介・考察されている*19 )。引用文中の楠部屋芸台(1760〜1820)については、日置謙編『加能郷土辞彙』(1942年)に、「クスベヤキンゴロウ 楠部屋金五郎 諱は肇、字は子春、号は芸台。父の諱は定賢、鳳至郡の農であつた〔中略〕文政三年九月廿九日六十一歳で没し、野田山に葬り、頼山陽が碑文を書いた。その著に加賀古跡考八巻がある」*20とある。楠部屋芸台の著作である『加賀古跡考』に何か関連事項の記載があるかもしれないが未読。また、天刹の神号とその由来についてはとくに小倉學「稲荷大明神掛軸之来囚 白狐が書いた稲荷の神号」(『加能民俗研究』第30号抜刷、1999年)*21に詳しいと思われるが、これも未読。



■長屋火 | ちょうやび |  地域:石川県白山市長屋町

 長享二年(一四八八)五月十三日、富樫政親の命により越前口の援路を開くため、高尾城より南下した松坂八郎信遠ら二千の兵は、江沼郡の一揆方に敗れ、残兵三百余人が、高尾城に引き返すため、今湊より手取川を渡ったところ、長屋の一揆勢の攻撃を受け、この地において全滅したことが『官地論』や『越登賀三州志』に伝記されている。そしてこの頃より、当地周辺に火の玉があらわれ、これが長屋火と呼ばれるようになったと伝えられる。長屋地区の人々にとって長屋火は、村を守り抜いた尊い生命の証しであると信じられてきたのである。太平洋戦争の末期に福井・富山の両市が爆撃で被災した時、二夜とも村外れで、くるくる廻りながら飛んで行く火の玉を多くの人が見たという。これが伝説の長屋火である、と地区では話されている。〔後略〕
(蝶屋村史編纂専門委員会 / 蝶屋村史編纂委員会編『蝶屋の歴史 集落・資料編』、石川県美川町、2002年、21〜22頁)

 加賀の一向一揆、とくに長享の一揆にまつわる怪火の話。長享2年(1488)、加賀国守護・富樫政親の弾圧に対し本願寺門徒が蜂起。結果、政親は自死し以後約100年にわたって加賀国では一向宗勢力の合議制による自治が続いた。かつて見られた「怪しい火」の話というだけでなく、戦時中に目撃された「火の玉」にもこれが当てはめられていたというのが興味深い。それだけ地元では一向一揆が長く重要な歴史的事象として扱われているのだということが「村を守り抜いた尊い生命の証し」という記述からも伺える。近隣地域の類似事例に「高尾(たこ)の坊主火」(石川県金沢市高尾)があり、小倉學ほか『日本の伝説12 加賀・能登の伝説』(1976年)によれば、一向一揆で滅ぼされた富樫政親の怨念の火が夜に飛ぶのだという*22。『金沢市史 資料編14 民俗』(2001年)には、「富樫政親がね、高尾城で討死してその怨念が残っとって、怪しい火の玉になって高尾の城山にあらわれ、西の野々市の方へ飛んで行くというわけや。夏になると、何かの火の玉が飛ぶようになって見ることがあるわいね。それを高尾の坊主火といっておるわいね。子供の頃に、あんまり遅うなると、「高尾の坊主火が出てくるぞ」と年寄りによう言われたことがある」という話が出ている*23。この「高尾の坊主火」の話は鳥越城跡(石川県白山市三坂町)にも伝わり、同地上空に高尾の坊主火が飛んでくる夜は川に網をかけても変な物しかかからず不漁になるのだという*24。どちらも加賀の一向一揆に関する怪火の話だが、「長屋火」は“村を守り抜いた尊い生命の証し”、「高尾の坊主火」は“富樫政親の怨念の火”と立場的には正反対の位置にとらえられているようだ。



 今回上げられなかったものについては次回の記事で。
 
 次回⇒"【妖怪メモ】石川県の郷土誌に見られる妖怪まとめ(2)"



【主要引用文献一覧】
河北郡編『石川県河北郡誌』、石川県河北郡1920年
・石川県七浦小学校同窓会編『七浦村志』、細川敬文社、1920年
・江沼郡編『石川県江沼郡誌』、石川県江沼郡役所、1923年
・石川県能美郡役所編『石川県能美郡誌』、石川県能美郡役所、1923年
鹿島郡自治会編『石川県鹿島郡誌』、鹿島郡自治会、1928年
能登島町史専門委員会編『能登島町史 資料編第二巻』、能登島役場、1983年
・『出城のれきし』編纂委員会編『出城のれきし』、出城地区連絡協議会 / 出城地区町内会長会 / 出城公民館、1994年
・加賀松任柏野郷土史編纂委員会編 / 山根公監修『加賀松任 柏野郷土史』、松任市立柏野公民館、1995年
金沢市史編さん委員会編『金沢市史 資料編14 民俗』、金沢市、2001年
・蝶屋村史編纂専門委員会 / 蝶屋村史編纂委員会編『蝶屋の歴史 集落・資料編』、石川県美川町、2002年

*1:木屋藤右衛門家の詳しい来歴については、清水隆久『木谷吉次郎翁――その生涯と史的背景』(故木谷吉次郎翁顕彰会、1970年)、北西弘編『木谷藤右衛門家文書』(清文堂出版、1999年)を参照。また、木屋家の廻船業の経営展開については、清水隆久「加賀の海商、木谷家一門の系譜について」(石井謙治編『日本海事史の諸問題 海運編』、文献出版、1995年)、高瀬保加賀藩の海運史』(成山堂書店、1997年)、中西聡『海の富豪の資本主義 北前船と日本の産業化』(名古屋大学出版会、2009年)、中西聡『北前船の近代史 海の豪商たちが遺したもの』(交通研究協会・成山堂書店、2013年)等を参照のこと。

*2:北國新聞出版局編『書府太郎 石川県大百科事典【改訂版】 上巻』、北國新聞社、2004年、70〜71頁

*3:"赤えい (妖怪) - Wikipedia" https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%88%E3%81%84_(%E5%A6%96%E6%80%AA)

*4:柴田宵曲編『奇談異聞辞典』(ちくま学芸文庫)、筑摩書房、2008年、221頁

*5:脇哲『新北海道伝説考』、北海道出版企画センター、1984年、166〜172頁

*6:原文では「うたひ刀」。

*7:小島瓔礼『猫の王――猫はなぜ突然姿を消すのか』(小学館、1999年、61〜62頁)より要約文を孫引き。原典は、横井希純著 / 坂本章三校訂『阿洲奇事雑話』(阿波叢書・第1巻、阿波郷土研究会、1936年、89頁)。

*8:「さては、妖怪変化だ。/武士は、地蔵を放って腰の刀をさっとぬいた。/ そのとたん、武士の刀のつばについていたニワトリの彫り物が、「コケコッコー。」と激しいときをつげた。/大岩の上に立っていた女は、みるみる山んばに変身し、宙を飛んで姿をけした。」 ⇒"『信濃町の民話』古海街道の美女" http://www.kitashinanoji.com/minwa/naganochiku/shinanomachi/katakagohen/hanashi/099furumi-bijyo.html

*9:川村清志「椀貸し伝説再考――近代における伝説の生成と受容」、『人文学報』第80号、京都大学人文科学研究所、1997年、109〜143頁、"Kyoto University Research Information Repository: 椀貸し伝説再考 ―近代における伝説の生成と受容―" http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/48508

*10:小塚秀得『加賀江沼志稿』のこと。安田健編『諸国産物帳集成 第2期 江戸後期諸国産物帳集成 第6巻 (越中能登・加賀・越前・若狭・信濃)』(霞ヶ関出版、1999年)に収録。ブログ主未読につき、確認次第追記する可能性あり。

*11:小島瓔礼編著『蛇の宇宙誌 蛇をめぐる民俗自然誌』、東京美術、1991年、74〜75頁。また、臼田甚五郎「田の神とツユジンさん」(『民間伝承』3巻10号、民間伝承の会、1938年)、石塚尊俊「ツユ神」(『民間伝承』16巻1号、日本民俗学会、1952年)も参照。

*12:"まんが日本昔ばなし〜データベース〜 - 釜妖神" http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=857

*13:清酒時男『日本の民話21 加賀・能登の民話 第一集』、未来社、1959年、39頁

*14:清酒時男 / 杉原丈夫 / 石崎直義編『日本の民話12 加賀・能登・若狭・越前篇』、未来社、1974年、39頁

*15:安宅関址保存会編『安宅誌』、安宅関址保存会、1933年、101頁

*16:尚学図書編『日本方言大辞典 下』、小学館、1989年、1366頁

*17:柳田国男小松和彦校註『新訂 妖怪談義』(角川ソフィア文庫)、角川学芸出版、2013年、22〜23頁/初出:柳田国男「妖怪談義」『日本評論』第11巻第3号、1938年

*18:高田衛監修『江戸怪異綺想文芸大系 第5巻 近世民間異聞怪談集成』、国書刊行会、2003年、235〜236頁

*19:柳田国男『一つ目小僧その他』(角川ソフィア文庫)、角川学芸出版、2013年、311〜328頁

*20:日置謙編『加能郷土辞彙』、金沢文化協会、1942年、257頁 ⇒"加能郷土辞彙 - 近代デジタルライブラリー" http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123720/133

*21:小倉學「稲荷大明神掛軸之来囚 白狐が書いた稲荷の神号」、『加能民俗研究』第30号抜刷、加能民族の会、1999年、12〜21頁。のちに、小倉學「白狐が書いた稲荷の神号」(小倉學著 / 三橋健監修『加賀・能登の民俗 小倉學著作集 第3巻 信仰と民俗』、瑞木書房、2005年)として再録。

*22:小倉學 / 藤島秀隆 / 辺見じゅん『日本の伝説12 加賀・能登の伝説』、角川書店、1976年、20〜21頁

*23:金沢市史編さん委員会編『金沢市史 資料編14 民俗』、金沢市、2001年、666頁

*24:小倉學ほか、前掲書、36頁