土屋秀禾「妖怪絵巻」『絵画叢誌』第331号(大正4年3月)

 しばらく展覧会一覧の追加以外更新してなかった。お久しぶりです。
 卒論関係で『絵画叢誌』を読んでたら面白い記事を見つけたんだけども、論文では使いどころがなかったのでここで紹介してみる。画家が泊まった家で妖怪に遭遇してその絵巻を描いたよという話。

妖怪絵巻  土屋秀禾
 明治二十五年、まだ私が壮年の頃、未熟の筆を携へて羽後の前田村庄司*1といふ素封家に寄寓したことがあつた、十二月で、雪の為に降りこめられ、一ヶ月ばかり滞在を余儀なくした同家の奥まりたる一室に陣取り、毎日画筆を走らして居つたが、夜になるとギン(くちへんに金)風と云ふ俳諧宗匠*2やら、別家の人、親戚の人たちが遊びに来て、淋しい事はないか、変つた事はなかつたかと聞かれるので、別に淋しい事も変つた事もない、室も立派で、まことに居心地がよいと答へる、これが連夜繰返される問答の一つであつた。
 その中同家を出立することになつて、私の為に土地の有志から送別の宴を村社八幡宮で開かれることになつた、所は米代川を眼下に見て、雪景画も及ばぬ眺めで、飲めよ唄へよの中に日は暮れる、月は磨かれたつ如く出る、感興更に湧いて世の更くるも知らず、十二時頃大に酔うて、例の寓居に帰つた。
 奥まりたる座敷に、辺に茶を飲み、酔をさまして居る折柄、欅の厚板を並べたる長椽を人の足音が聞ゆる、夜更けて誰か来たのであらう、定めて俄に泊り客でも来しものと見ゆ、然に其足音は捗々しく進まぬ、すると草履の音、衣ずれの音がする、さては婦人らし、如何なる婦人かと思ふ途端、障子にバサリと髪の毛の触る如き音がする、やがて又障子に吸付く如き響きをさせる。
 さては妖怪御参なれ、と様子をうかゞひ、有合ふ銅印を手にし、障子をあけて行過ぎるをうかゞひて件の銅印を投付けた、朦朧たる怪しき影は、黒く大きなる獣類の如き形を現し大きなる響きをさせて、便所の小格子を破つて飛出した、この騒ぎに呼べど答へぬばかり隔たりたる別室より主人は下男に提灯を持たせ、追取り刀で出て来た、
 同室に宿泊するものは、いつも悩まされたが、主人はたゞ淋しき為とばかり、多くは気にしなかつた、然るに件の妖怪の逃出した跡に狸の爪がいくつか欠落ちて居たので、その妖怪は狸とケリが付き、それから此妖怪談を聞かるゝ為に更に数週滞在し、この妖怪の巻絵物の注文に忙殺されることになつた。
                                                       

                                             出典:『絵画叢誌』第331号 大正4年3月

 

 この文の筆者である土屋秀禾についてはまた別の時に書きたいと思う。

*1:羽後の前田村庄司といふ素封家・・・北秋田市阿仁前田地区にある庄司家のことだろうか。ここのサイト参照(下のほう)

*2:ギン風と云ふ俳諧宗匠・・・秋田の俳人・庄司吟風(1853−1905)のことかと思われる。